メタファーとしての鵜

crz_joe2004-11-11

夜8時過ぎの第二次帰宅ラッシュみたいな時間帯。
座っている僕の前にその鵜は立っていた。
鵜はSamuel BarberのAdagioの譜面を熱心に読んでいた。
突然の雨と人の多さで車内は異様に蒸していて
譜面がときどき前後に揺れると、僕はAdagioが鵜によって団扇に仕立てられているのが分かった。
鵜はピアニストのようだった。
いつしかフレアスカートのひだは鍵盤に見立てられ、鵜の細長い指はその上を華麗に舞った。
僕がまだ鵜だったらきっとその指に恋をする。
そう思って僕はその鵜に声をかけるには10年遅いのだと気づいた。