自由であること

明け方学校から帰ってきて死んだように眠り気づいたら15時で、腹がひどく減っていた。僕は冷やし中華の麺をゆでながら缶ビールを空けた。そうして僕は、論文でひいひい言いながらkrvとつくった、終わったらやりたいことリストのひとつ、「昼からビールを飲む」を達成して自由だなとおもいつつ、それをノルマのようにこなしてしまった不自由さを同時に感じた。



それから自転車に乗り川沿いを上流に少しこいで、ブックオフ鈴木清剛大江健三郎の短編小説を買った。TSUTAYAに向かう途中の江東区の図書館で会員になってジャミロクワイのCDと藤子不二雄のマンガと大崎善生をの小説を2冊借りて、大崎善生は最近のお気に入り。
帰ってロッテ戦の中継を見ながらまたビールを開けた。これ千葉テレビの放送なのだが、実況も解説もだらだらしていて、夕飯時に見るにはもってこいなのだ。結局2本もビールを空けてしまった。
気づくとソファでうとうとしていた。
テレビではWOWOWJack Johnsonがハワイでの生活についてしゃべっていた。朝起きてサーフィンに出かける彼の生活を想像して自由であることについて考えた。
先週末清家清展を見て、この人はなんて自由な人なんだろうと僕は思った。いい意味で意欲的でなくて、お金を稼ぐこととか地位を築くこととか、そういうことから自由なのだ。
そしてそういうものに僕らはすごくあこがれるから主夫になりたいだなんて僕の周りのみんなが口を揃えて言うのだ。
僕は長い長い学生生活を終えてこれからどこで働こうかを考えた。
そしてどうしたらそこに自由さを見いだせるのかを考えた。
でもきっとそれは幸せの青い鳥みたいに、その気になればどこにでも見いだせるもののような気がしてならなかった。


チャンネルを変えると偶然河口恭吾のライブを放送していて、僕は思わず苦笑いせずにはいられなかった。
意欲的でないとか自由とかキャラが違うんじゃないの?と彼に諭されている思いがした。
というのは彼が人一倍に売れることに対して意欲的な人間だったと思うから。
社会の底辺のようなアルバイトの中で輝きを失わなかった彼の目を思い出した。


とはいえ自由を感じること、それを見いだすこと、せめてこの2週間くらいはそれをためらいなく謳歌しようと思う。とりあえず今夜はウイスキー片手に眠くなるまでウクレレでもひいていよう。