外部記憶と未来ライフ

昨日かかっていたコンペを仕上げて、僕のパソコンにふくれあがったデータは整理されて
完成品だけを残してそれまでのあれこれは外付けHDの方に収納されてしまったのだけど、
ふと、こうやって外部記憶がどんどん増えていくのって、どうなんだろう
とこの映画を見て考える。


勿論素敵なこともあるけど、人間って楽しかった記憶だけを反芻することによって
脳にとどめて生きていく動物じゃない?
でもこうしてブログなんか書いてると、たとえば一年前の今日、
僕が何してたかなんて一発で分かってしまう。
たとえそれが思い出したくない記憶であってもだよ。
そうやって外部記憶には忘れたい記憶も忘れたくない記憶もずっと消えることなく積み重なっていく。
でも、ゴミ箱を空にするっていう作業は
写真を焼いて忘れることみたいに気持ちの整理をつくことじゃないし
だからまあ取っておけばいいかって思いながら、僕らは外部記憶を増やしていく。
きっと20年後には誰もがものすごい量の外部記憶を抱えながら生きているんだろう。
もしかしたらそういった他人の外部記憶に侵入しては持ち去る記憶泥棒が出てくるかもしれないし、
記憶を自分の代わりに消去してくれる消し屋が繁盛しているかもしれない。
勿論自分の脳の記憶の操作だって可能になっているかもしれなくて
この映画みたいに愛する人を亡くした人の中にはそういうことを望む人もいるかもしれない。


小説や映画を作って残すことって人間の記憶をテーマにするということだから
これはないよな。
と思ってしまった。
なんか小説のネタには面白い話をした気がする。自分でw