江ノ電から回想

crz_joe2007-06-12

JRが送れたせいでかけこんだ鎌倉市役所を
12時の昼休みを告げるチャイムと同時に後にして
コンビニでサンドイッチを買い込んで乗り込む江ノ電の先頭車両
極楽寺あたりの紫陽花がとてもきれいで
温暖化だの異常気象だの騒ぐ人間をよそ目に花はいつも偉い。


七里ヶ浜の現場を過ぎると鎌倉高校前へ向かう海岸線
光化学スモッグのせいなのかものすごくフォギーで
薄い青とグレーの間に海と空の境界は消えていた。


僕はそのときその海をものすごくきれいだと思って
こういうおそらく物理的にもしくは事象的には全くきれいでないものを
きれいだと思える”メンタル”的なものの重要度が
自分の日々の生活の中で実感として増してきているとふと思う。


それは茂木さんや養老さんに代表される
昨今の脳科学の盛り上がりにも表れていると思うけれど
たとえば三つ星のフランスレストランでのディナーより
山の山頂でのひとつのおにぎりを美味しく感じるという
ものの豊かさよりもこころの豊かさに訴えた
社会のあり方を模索しようとする流れの一環にあるのだろうきっと。


スポーツをしていても見ていてもそうだけど
ものすごく多くの場面でフィジカルな強さよりも
メンタルな強さが力を発揮することがよくあると思う。
土壇場の場面で投げ慣れていない変化球を思い切って投じれる人に
勝利の女神はほほえんだりする。


フィジカルな病気だって、実際には病気に対する不安からくる
メンタルなものが大きかったりするから
朝早くから散々待たされた挙げ句に一言で診察を終えようとする医師に
時代錯誤的なものを感じずにはいられない。


僕が日常生活の中で大切にしていることとは
こうしたメンタルな部分が
常に高い位置エネルギーを保てるようにすることだし
人々のメンタルな部分を喚起するように
その背景をデザインすることなのだと思ううちに
江ノ電は腰越を過ぎて海岸線を離れた。


鵠沼の駅では発車しようとする電車に向かって走ってくるおばちゃんがいて
ちょうど正面にそれを見た運転手さんがおばちゃんに急げ急げと手招きをして
僕はこの江ノ電はメンタルな部分であふれているのだと気づく。
石上の駅では葬祭場でも近くにあるのか
狭いホームに親族だろうか喪服姿の人々が横に広がって電車を待っていた。
この暑い中、タクシーでも拾えばいいのにと僕は思った。


駅を出ると江ノ電は不釣り合いな高架を上がって
少しだけ都市的な藤沢のビルの中に吸い込まれていって
それをスイッチにして僕は仕事に戻り
13時からの工務店での定例にピタリと間に合う。