ソーシャルネットワーク/デビッド・フィンチャー

crz_joe2011-01-15

最近までNYで仕事をしていた友人に誘われて初日に見る。
ちなみにFACEBOOKは登録しているけど全然使ってない人でした。
しかしこうしてどういう社会基盤をベースにFACEBOOKが誕生して普及していったかを知ると、とても面白い。
これが映画なのかという疑問はあるにせよ、全く共感できない主人公が共感を得ないまま終わる映画という構成はとても新しかった。


FACEBOOK誕生の基盤となっているのはパーティー文化。いわゆる日本の農村型=囲い込み型のコミュニティの質と異なる都市型のコミュニティだ。
欧米では人と人とのつながりが新しい何か→経済効果を生み出すという価値観がかなりしっかりしているので、実名でプロフィールを公開することに抵抗がないんだと思う。
つまり現実社会のコネクションを強化するためのツールという役割が非常にはっきりして見える。


これに対しMixiは小さな「コミュニティ」がシステムの中心になっているという構成を見ても良く分かるけど、小さなコミュニティの中で閉じこんでいく非常に日本らしいコミュニケーションのあり方。
共有できる人同士で輪になってその内側に対してはとても開いていくけど、周囲に対しては背を向けているという構図。
なので僕みたいに趣味が多岐に渡っていると、違うコミュニティの人から見ると違う人間のように見えてくるかもしれない。平野啓一郎さんの小説「DAWN」ではそういう感覚をdividual=分人としてうまく表現していた。(individual=個人は元々それ以上分割できない単位という意味)
しかしそうして個人の分人化が進むと、今度は実名でプロフィールを公開していくことに対し、多くの人は抵抗を感じていくんじゃないかと思う。


こうしたコミュニティの質の差こそがFACEBOOKが日本でイマイチ普及していない理由なのかもしれないと映画を見て思った。
そして元々都市型のコミュニティを持っている体質だと思っていた自分が、最近どうも閉じてきているというのを感じtwitterを本格的に始めることにしましたw
@hiroki_tominagaでなるべくしょうもないことをつぶやいていきます。
フォローミー(意味が違う。)
もともとぶつぶつ独り言してる体質なのでこっちのが向いてるかも。
よろしくー。