現代建築 :アウシュビッツ以後/飯島洋一

現代建築・アウシュヴィッツ以後
筆者はこの本の中で度々ドイツが敗戦後にアウシュビッツを忘れようと戦争以前の19世紀のドイツをトレースしようとしたと批判し、アイゼンマンのホロコー ストメモリアルについてもそれをつくることでドイツはもうその件はいいではないかと考えているぞとこれまた批判していると書いているうちに僕は1週間ぶり くらいに句点を打った。ところで僕が年金を納めていないせいなのか税金も殆ど払ったことがないせいなのかはたまたインターネットの中にたくさんの非政府的 な状況を見出すことができるからなのか。国家という単位については殆ど関心がない。ないけど興味深いのは同じ敗戦国でありながら日本とドイツの状況が極め て相対的なのはそれがヒロシマアウシュビッツという被害者と加害者の立場に分かれることにあると思った。
彼が度々「崩壊」というキーワードからユニ/フラットを批判しておりその「崩壊」の起源を第二次大戦の敗戦に位置付けているが、その敗戦の解釈を決定的に 位置付けているものはヒロシマナガサキであり、それは神であるはずの天皇が普通の人間だったりアジアのための戦争が単なる侵略だったりする事実を突然押 し付けられて受け止めきれなかった庶民が追い討ちとなるような南京大虐殺などの事実から目をそらしてヒロシマナガサキという被害者意識を装うことでバラン スした「崩壊」であるように思える。ともすれば僕は飯島さんが敗戦を背景にユニ/フラット批判を展開するのは勝手だが、ドイツの忘却を勝手な推論から批判 するのは全くの筋違いではないかなどと思った。