ミコノス

crz_joe2004-07-14

少し早めにユースを後にして港へ向かう。途中聖火ランナーを見かけて、まだオリンピックの開催は諦めてないのだと実感する。僕らは港に着くなりうんざりした表情で何で今日のチケットを買ったのに昨日の日付になっているのだと静かに、そして理不尽にキレる。無事に新しいチケットを手にしてミコノス島へ高速フェリーで移動。激しく揺れはしたもののこのフェリー内がギリシャで一番文明を感じさせる空間だったことは間違いない。
ミコノスの街は2階建ての白い建物にカラフルな手摺のついた外階段と、白い網目模様に塗られた石畳の道が非常に印象的だった。着いた時間がシエスタで街は完全に死んでいたので、僕らはパラダイスビーチというゲイとヌーディストで有名なビーチへ出かけた。ビーチにはバーが併設されていて、そこが大音量で音楽をかけるので静かな海が好きな僕はあまり好きでなかったけど、昼から踊り狂っているイタリア人集団はとても楽しそうだった。僕は痛むあばらを考えて一緒に踊り狂いたい気持ちを必死に押さえ、少しだけ泳いで再び街へ戻った。白い円柱に藁葺きの屋根の風車とそのすぐそばの港沿いで潮をかぶりそうな海辺のレストランがかわいかった。金のない僕らは安い食堂でピタを喰らい、23時発のフェリーまで時間をつぶせそうなバーを探した。目当てのバーは名前を既に変えていて見つけるのに少し時間がかかったが、僕らは無事に十数年前に村上春樹が訪れて「遠い太鼓」という旅行記にも書かれたというそのバーを見つけて入った。今はすっかりゲイバーになっていて、客は僕たちしかいなかった。僕らはトルコ生まれで5カ国語をあやつるマスターのおじさんと英語やドイツ語や日本語をまじえながらこの街にゲイが多い理由とかオットーレーハーゲルがドイツ監督のオファーを蹴った話とかとりとめもないことを話した。2杯目のカクテルが半分くらいまで無くなった頃、突然街に爆音が響いた。僕らは店を出て音のする港の方へ向かった。花火だった。僕らの後を追いかけてこの島に来ていた聖火のイベントのフィナーレをつげる花火だった。僕は今年は間に合わないと思って諦めていた花火をこんなにも間近で見れたことに素直に感動した。1週間の旅の終わりにはできすぎたフィナーレだった。バーに戻るとマスターのおじさんが、あれは僕らの払った税金だよ、とドイツ語でつぶやくように言った。