論文がおわって

いろいろなことが短い間にあって
何から書いていいのかわからないので順番に書くことにする

発表がおわって僕は見に来てくれた友達や盟友krvと抱き合って喜びを分かち合った。
先生は割と上機嫌で感想を語った。
ysmrさんとsgyとkrvと銭湯に行った。
暑気払いという建築学科のアウトドアパーティーがあって寿司や流しそうめんを食べた。
s井がスウェーデン土産の世界一臭いという缶詰を爆発させて先生が汁を浴びた。
半端なく臭かった。
インドに渡るleicatに別れを告げた。

それから僕らは終電に近い電車で逗子に向かった。
目指す森戸海岸へのバスがおわってしまっていたのでkrvと海岸線を歩いた。
浜辺を裸足で歩きながらさっきまで長い間ひとつの部屋に閉じこめられていたのが嘘みたいだと思った。
海に近い家の建ち方が好きだった。
近くのローソンでカップラーメンを買い、店の前の地べたに座ってそれを食べた。
高校生以来のことだった。
3人のいかれたフランス人が"ラーアメン、ヤーキーソバッ"と歌いながら現れた。
彼らと共に海岸へ向かった。
浜辺には15人くらいの人がいたけど曇りの月明かりだけが頼りで、誰が誰で何人なのかよく分からなかった。
フランス人の女の子があなたの論文のサンプルに私の事務所の作品があったのといってご機嫌だった。
simonと相撲をとって負けた。
泳ごうという話になったので服を全部脱ぎ捨てて海に飛び込んだ。
僕はこれじゃまるで”はしゃぎすぎてる夏の子供”みたいだとおもった。
明け方にsimonとkrvと野球をした。
近くの神社にお参りに行った。
僕が覚えているのだいたいそんなところだ。
気づくと砂の上に倒れていて日は高く昇っていた。
フランス人のテンションは相変わらず高かった。
僕とkrvは帰るよと別れを告げてバスで駅へ戻った。
どこかが常にザラザラしていた。
荷物をとりに研究室に戻ると家のカギをkrvのカバンの中に忘れていたことに気づいた。
仕方なく椅子で寝た。
起きて鏡を見ると顔が砂だらけだった。
自由が丘でkrvから家のカギを受け取るとそのまま家へ帰ってシャワーを浴びた。
またすぐに家を出て高円寺へ向かった。
000は待ち合わせに15分遅れた。
僕は待たされることに何の苦痛も感じずに済む幸せを感じた。
奥山さんのオープンハウスを見て感想や論文についての話を奥山さんと交わした。
HomeingのO島さんが大森に工場の新築の仕事があるんだけどさあと意味ありげな話をして去っていった。
NYkと合流し、お茶をした。
僕はほとんど妹を過剰に心配するお兄さんのようだった。
買い物に少しだけ付き合って新宿のホームで別れを告げた。
でもYkと会うともしかしたらこいつと近いうちにミュンヘンで会うんじゃないかという気になった。
僕はやっぱり今もあの街が好きなのだ。

友達から電話が鳴って僕は亀戸に向かった。
途中花火がよく見えた。
不動産屋のその友達の自宅のマンションの屋上でビールを飲みながら花火を楽しんだ。
僕らは野球の話ばかりをして翌日の勝利を誓って別れた。