経験の修辞/盛り土

前日のつづきとして、たとえば建築計画学がもたらしたある種の空間経験の修辞なら
サンプリングしうるのではないかと思う。
ホームがフローリングでできたOMAのロッテルダムの新しい地下鉄駅を見て、
住宅の居間のようだったとボスが言っていたけど
そういう経験のサンプリングというのには強い可能性があるように思う。
これだけデザインという言葉が力をもって一人歩きする世の中なら
埋め込みも脱埋め込みも超えた盛り土的な状態が
ありうるのではないかなどと思いながら
日の当たる場所に出るための方法を最近はいつも考えている。