批評は全て自分自身に向けて

オープンデスク東工大の2年のsd君の課題を仕事の合間に見るのが最近週一の楽しみになりつつある。
クリティークしながら今いる場所がどれだけ東工大から遠い位置にあるのかを再認識する。
最近東工大からskriが入って2人であーでもないこーでもないと馬鹿な話ができることで、
だいぶ建築をつくることの根源的な楽しさに立ち戻れている気がする。
そういうなかで発見するのは、言語化して説明するときに「たとえ」を出せる力というのは多分重要で
それによって目の前のアイデアは違う何かに憑依して頭の中をさまよい、そこで別の何かを発見して
もう一度アイデアにおりてくることがあって、そういう修辞の力を知っている人間がいると議論は楽しくなる。
話が飛んだけど、いかに探求できるか。そしてそれをいかにデザインに積み重ねられるかこそが東工大の教育の道なのだと
分かっているのか分からないだいぶ下の後輩に説く。


そういえばそういう掘り下げる教育の為なのか分からないけど、東工大には圧倒的にオタが多い。
音楽にしろアニメにしろ漫画にしろ、大概の連中はある種の偏った知識をもっている。
今の事務所で周りにそういう人がいない気持ち悪さについてskriが来たことによって再認識する。
うちの事務所おどろくくらいオタっぽい人がいない。
それは建築の質にも通じているかもしれない。