哀愁的東京/重松清

哀愁的東京 (角川文庫)
タイトルにひかれて手にする久々の文庫本。タイトルは本の終盤になって言葉遊びのように出てくる。でも考えてみれば重松清って哀愁ものしか書いてない気がする。哀愁的郊外とかにすればそのまんま重松的作品。
ただ哀愁的というのは個人個人の記憶に依存するものであるのに対し、東京という一般的な地理範囲とは、勿論そこにもいろいろ議論の余地があるにせよ、「そこにしかない形式」のように相容れないものだと思う。
絵本作家の主人公の周りに登場してくるのは割と紋切り型の人間だというのもあるし、東京というのも割とローカルな視点に寄ることによって、二つの要素がまとまっているようにも見える。
退屈に見える世界はこんなにも素晴らしい(村上春樹的)とか、世界はこんなにも多様である(町田康的)とかの後で、ある種の多様性から紋切り型を切り出すことというのが求められているということなのだろうか。