生物と無生物のあいだ/福岡伸一

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物学者で青学教授である福岡さんが生物とは何かを主題とし、
自身の研究やDNA発見に纏わるストーリーなどを文学的に綴る。これすごく面白いです。
動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)という概念が出てくる。
たとえば1年ぶりに会った友人にお変わりありませんね、と言われるとき、
人体の分子レベルにおいては1年前のものは残っていないので、お変わりありまくりなのだという。
つまり生命とは動的平衡にある流れなのだ。
常に流れの中にありながら秩序を保てるのは、
生命に欠損を補填しようとする優れた能力があるからで、DNA発見の少し前に、
こうした生命にある流れを発見した生物学者ルドルフ・シェーンハイマーの言葉がまた興味深い。


"秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない"


秩序という言葉の代わりに"形式"をあてはめて考えようとするときに
僕はふと、建築のデザインに固有の重大なテーマの存在に気づいた。


そしてこのことが本の終盤で福岡さん自身の研究のストーリーによって補填されていく。


狂牛病プリオンタンパク質を完全に細胞から排除された(ノックアウトされた)マウスをつくったところ、
予想に反して何の問題もなく生涯を終えたという。
これに対し、部分的に不完全なプリオンタンパク質を戻されたマウスには障害が見られた。
このことはプリオンタンパク質が生物に不必要であったことを示すのではなく、
生物にその欠損を成長する段階で補填する能力があることを示している。
福岡さんは生命はテレビのような機械ではないと結ぶ。
そのとき機械との違いの中に見落とされていた概念とは「時間」だったのだと気づく。

私たちの生命は、受精卵が成立したその瞬間から行進が開始される。それは時間軸に沿って流れる、後戻りの出来ない一方向のプロセスである。(中略)一定の動的平衡状態が完成すると、そのことがシグナルとなって次の動的平衡へのステージが開始される。(中略)平衡は、その要素に欠損があれば、それを閉じる方向に移動し、過剰があればそれを吸収する方向に移動する。
機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことの出来ない時間というものがない。
生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。


生物を建築と読み替えてみるとニヤリとさせられる。


ふと思い出したのは、3年前くらいに五十嵐淳さんの講演を聴いたときに、
そののらりくらりとしたつかみどころのない説明の中に、今思えば確かに時間が折りたたまれていて、
それがそのまま五十嵐さんの建築のよさになっていたこと。
よい建築のデザインには時間の流れが折りたたまれている。
それは何となく分かっていながらなかなか言葉にされてこなかった
我々における本質的な問題。