フューチャリスト宣言/梅田望夫+茂木健一郎

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

自転車通勤が増えたせいで読めなくなっていたのを休みに乗じて一気に読む、今年最後の1冊。


これからのウェブ世界を肯定的にみる対談集。
茂木さん曰く「言語以来の地殻変動」というインターネットの発達によって、
従来の教育体制とか会社組織とかがナンセンスになり、
所属という方法そのものが疑われつつある社会。
所属をもたないでもブログが自分の履歴書代わりになるのだということを
実践している梅田さんの生き方はまさに次なる社会のあり方を
見越しているのかもしれない。
インターネットの普及という意味では先進国にある日本だが、
欧米とは違ってリアルな社会の方では談合主義が根底にあるために、
新しい芽は摘まれ、履歴書における1日の空白も嫌われる現実。
それでもあと10年してgoogle世代が社会を動かすようになれば、
変わってくるはずだから、悲観することなく楽しい未来をつくっていきたいというのがおおまかな本の趣旨。


インターネットの世界で、「ラフ コンセンサス アンド ランニング コード」という言葉があります。(中略)最初の合意形成はそのくらいゆるくして、動くコードを作ろうと。最初にスペックをガチっと決めてトップダウンでモノを作っていくのではなくて、だいたいのコンセンサスができたら、後はとにかく動くものを作って、それで標準が決まっていく。そのあとはだんだん進化させていこうという考え方です。そういうある種のいい加減さ、最初から完璧を求めない姿勢、だけど早く大勢の人の知恵を集める仕組みが、現代的な気がします。(梅田)
使えるものは不完全であっても使っちゃうという発想は生物と同じ。生命のプロセスは以外といい加減です。(中略)進化自体もDNAのコードの写し間違いによって起こる。インターネットの上で起こっていることって、じつは生物システムの動作原理に近いんですよ。(茂木)

たとえばこういうのを設計のあり方として使えないだろうか。
ざっくりとした素案を掲示板のようなインターネット上にアップしておいて
それに対し、施主や担当者だけでなく、担当以外の所員とかOBの所員とか、制限なくああだこうだといろいろな人の意見をかぶせていって、
完成系に近づけるような。
設計の段階に存在している時間の長さを認めればこういう設計のあり方って結構あり得る気がしてくる。

そこにその人らしさが一番表れる。だって、ネットでどこのドメインを見ているかというのは、人によって全然違うじゃないですか。テレビを見るのとは全く違った自由度がある。その体験は自分を作り上げていく上でも重大なことだと思います。(茂木)


僕はあんまりそうでもなかったけど、幼少の頃の話をすると世代的にはテレビ世代だから、全然違う環境で育ったつもりでも、昔のアニメの話とか完全に共有していたりする。
そう思うとテレビ世代でない幼少時代を過ごした子供が大人になってつくる社会のことを思うと、今よりノスタルジーな方向に行くのかも。

たくさんの分野に興味があって、関係性に興味がある、俯瞰してものを見て全体の構造をはっきりさせたいという志向がある人はこれからの時代有利になってくる気がします。(梅田)


ギャップイヤー(卒業してから就職するまでのタイムラグ)を持ち、
偶有性を大切にして、5年以上もブログを書き続けている僕にとっては
この二人に共感することはものすごく多いし、ものすごい励まされる。