日本人の精神と資本主義の倫理/茂木健一郎+波頭亮

日本人の精神と資本主義の倫理 (幻冬舎新書)

日本人の精神と資本主義の倫理 (幻冬舎新書)

高い身分や地位にある者は、それに応じた使命と義務を負うという欧米の道徳観を意味する「ノーブレス・オブリージュ」。
こうした公に供する価値観の欠如した大衆が野に放たれた結果、売れれば正義的な価値観が横行して、それを自制する力がない現在の日本の社会。
本の中では温厚そうな茂木さんが珍しく声を荒げていて、テレビの現状に代表される日本の文化レベルの低さを強く嘆いている。
不景気と騒いでる中でも、普通のOLが海外旅行に行けるくらいには経済力のある国。その中で本当の豊かさを多様性というキーワードの中に見いだしていく。
ピアプレッシャー(出る杭は打たれる)の強い日本社会の中で、海外生活の経験のある茂木さん、波頭さんが経済を目的としないで生きようとするホープフルモンスター(今は奇妙な怪物だけどそのうちメインストリームになるかもしれない進化生物学のことば)として、新しい価値の転換のために何ができるかを議論する一冊。

学習とは、価値依存的な概念ではないのです。つまり変化(中略)。だからplasticityつまり可塑性という言葉が、脳科学でいうところの「学習」のいちばん価値忠実的な表現になるかもしれません。(茂木)

可塑性って使えるな。設計におけるアルゴリズム=可塑性をもったデザイン。

多様で複雑で曖昧模糊としているからこそ、単純明快な方程式を欲しがるようなものでしょう。(波頭)

現在の設計思想の根底。

資本主義が誘う豪華さを追い求める欲望のベクトルに対して、よほど強烈な対抗軸を出さないと負けてしまう。それこそ、千利休ぐらいの強さでもって出さないと負けてしまう。対抗軸を出した人は資本主義から切腹を命ぜられるかもしれない。だけど、それぐらいの強烈なものを出さないと、価値の転換は起こらないだろうと僕は思っています。(茂木)
仏像に関して、インドや中国では木を組み合わせて作るのだけれど、日本の仏像だけ一刀木から削り取って作ります。そうした削り込む文化は、逆に言えばエッセンスに迫ろうとする、内省的な文化とも言える。これは日本の強みだと思うわけです。(波頭)

サッチャー政権のときにイギリスは大きく変わりました。彼女は傾いていた国を建て直すために、徹底的に合理性を貫いた。彼女の政策は福祉予算をカットするなど、一面では弱者たたきの側面ももっていた。働きもしない人間が福祉、福祉とたかるから国が傾くとの意識で大幅に削った。大衆に対しては、いわば、横暴な政治を敷いたわけです。しかし、こうした政策を貫いたおかげで、誰がいちばん助かったかといえば、貧しい人たち、つまりワーキングクラスなのです。(中略)最低賃金を引き下げ、働かざるをえない状況を労働者に与えた。しかし、それが競争力を植え付けることに作用した。結果、雇用が増え、景気も上向き、国民の所得は増えました。(中略)社会を健全化するのは、厚生水準、つまり豊かさを引き上げることであって、怠惰とわがままをもってする大衆的なベクトルに引きずられてしまったらうまくいきません。(波頭)