インド12 アルワール→デリー

朝、アルワール駅を下りるがどこへ行ったら分からないので仕方なくリクシャーにシティパレスにやってくれと伝え、自転車の上から町を把握しようとする。ところがホーリーのせいでどこも閑散としておりよくわからない。







宮殿地区に着くと、階段井戸の背景に高い岩山がそびえ、岩山の尾根には万里の長城のような城壁がつづいていく。現地の人に聞いてもほとんど観光客はいないと言うし、実際僕以外の外国人をひとりも見なかったが、見所は結構あると思った。宮殿部分はかなり朽ちていて、その朽ち方まわりの風景としっくりくる。今までは城や宮殿の中ばかりが以上にキレイで逆に違和感があった。ここはそういう意味では時間の滞積の中に不自然な操作がなくて好きだった。


見ているうちに尾根の城壁に登りたくなって登り口をさがす。割と無造作に住居域に入ってしまったことを公開する。インドでもっとも大きな祭りのひとつという色かけ祭り、ホーリーだったことを忘れていたのだった。
子ども達に追いかけられ、ピンクの粉をかけられて瞬時に頭からカメラまでピンクに染まる。それでも無邪気に写真を撮ってくれという子どもたちにやれやれと思いながらカメラを拭く。

城壁をよじ登ると途中かなり壊れていてバックパック背負いの僕にはきつい。上から見た町は宮殿以外には特に見るところがなさそうだったので、びくびくしながら階段を下りる。
ちょうど高い塀から下に飛び降りようとしたときだった。僕はバックパックの重量を忘れていた上、カメラのケアしながら飛び降りた。


ズキっと鋭い痛みが着地と共に右足首に走る。しまった。うかつだった。。


と思ったが歩いてみると痛みがなかったのでそのまま歩いて下り、駅の方面へ歩いて向かう。
生憎ホーリーのせいでリクシャーが全然おらず、水を買うのにも苦労しながら捕まえるまで2km近く歩いた。あとで思えばこれが悪かった。


あまりに観光地化されていないので駅に戻って翌日早朝にアルワールを出るチケットをキャンセルしてもらい、当日予約できる席をさがしてもらう。次の16時の便に空席がなく、19時まで待たなくてはならなかったが仕方なくそれをおさえる。まだ13時だった。
しかも運の悪いことに僕はそのときデリーからチャンディガールへ行く翌早朝のインドでいうところの新幹線の一等席を買ってしまった直後で激貧だった。トラベラーズチェックを換えればお金には困らないが、ホーリーではどこの店もしまっている状況で街にも出れない。おまけに食あたりでここ最近まともに食べていないから体全体がダルかった。ハンガーノックに気をつけろという誰かの声が聞こえた気がした。


そして気づくと僕はびっこをひいていた。右足首がものすごく発熱しているのが分かる。万事休すだ。。
金はない。電車は来ない。体力もない。まともに歩ける足はない。。
こんな状況に陥ったことは今までになかった。持ち物を全てとられたスペインの時だって健康な体は残っていた。


右足首の痛みは増してきていた。僕はとりあえず荷物をクロークに預け、ハエだらけのベンチに横になった。顔や手やいたるところにハエが止まっていたがもう気にならなかった。時々水を足にかけ、気化熱で冷やした。そうして2時間ほどが過ぎた。何にもしないでボーッとしているのが不思議と苦でなかった。もはやホームのそこら中で似ている現地人と何も変わらなくなっていた。


なるほどと僕は思った。
すごく簡単に総括するとインドという国は飽きないし見るべきものはあってすごくいいけど、街は汚くて臭くてうるさいし、がめつくてしつこくて濃いインド人は正直苦手だった。そもそも数が多すぎる。魔法使いだったらザラキをかけているところだ。
ところがそんなインド人と一緒のレベルに立ってみると、そこはやっぱり決して快適でないものの、僕にはどうしてインドにはまる日本人が多いのか分かる気がした。


僕は今はるばる遠いところまで来て体調を崩し足首を捻挫しピンク色の粉にまみれうすら汚れ、ドラッグには手を出してないものの、言い換えれば完全に負けていた。それでもそれをさげすんだりする人はこの回りにはいない。


インドは負けられる地なのだった。勝ち続けないと白い目で見られる日常に疲れた人が来るところなのだと僕は思った。
僕はとにかくシャワーを浴びたかったし早くデリーに帰りたかったので、19時のチケットを捨てて16時のローカルクラス2等の席を買った。150円だった。


列車は17時には来た。割といい方だ。乗ってみるとインド人ばかり、4人がけの席に8人、1人がけには必ず2人。荷物のない網棚には至る所に人が詰まっている。
僕は構わず通路にバックパックを置き、その上に座った。回りの人間は何か宇宙人でもまぎれこんでいるように時折こっちを見たが、英語が話せないらしく全く話しかけてこなかった。時々チャイニーズとかネパーリーとかいう声が聞こえたがジャパニーニーという声は一度もなかった。もしかしたら日本を知らないのかもしれなかった。途中痛み止めに飲んだバファリンが聞いて眠った。


デリーについたら不思議と足の痛みはひいており、地下鉄でニューデリーまで移動してホテルをとり、頭を洗うと水はピンクに染まった。