インド13 デリー→チャンディガール

起きるとかなり足の痛みが弾いていたが手ぬぐいを濡らしそれで足首をきつめにしばった。走るのは難しくても歩く分には問題なさそうだった。


チャンディガールに向かう2400円相当の1等席は乗った瞬間からエアコンがガンガンに効いていて、シートもすごくゆったりしている。前の席のおじさんはドイツ製だと言っていて、僕はなるほどと思う。

乗客は意外と観光客が少なく、いかにも仕事の出来そうなインド人が多いが、Tシャツにジーンズの若い女の子や上下ジャージの中学生らしい子も乗っていた。女の子はボーイに荷物を持たせて網棚に乗せてもらうと慣れた手つきでチップを渡していた。人を使い慣れていると僕は思った。
気づくとこの場所ではほとんどのインド人がなぜか英語で話していた。この1番高い1等と昨日の1番安いローカル2等ではなんと15倍近い差がある。もっとも2等席はチケット拝見など一度も来なかったし、実際チケット拝見など出来る状態じゃなくて、ほとんどの人は無賃乗車かもしれなかったから、その格差たるや相当のモノがある。


とにかく昨日の負け組から一転勝ち組への転入だ。そしてそのサービスっぷりはさすがに15倍だけのものがあった。
そもそも一両56人の乗客に対し4〜5人の給仕係がいるのだ。飛行機よりもよっぽど多い。列車が動き出すとまず全員に1リットルの水が配られ、次いでスナックと紅茶。極めつけは一輪のバラである。それも老若男女構わず配っている。。
それで満足していると別にしっかりとした朝食が来た。コーンフレークとパンと紅茶とオムレツ。締めにジュースが出て、僕は久々に何かを食べた気になった。


チャンディガールへはわずか3時間20分で着いた。駅に着くと例にもれずリクシャーとの攻防になり、乗ってからもまた仲介料をとれるホテルに連れて行こうとするワーラーとの戦いだ。かれこれ2週間以上も戦いは続いていた。
なんとか目当てのホテルにつくが普通にシングルを取ると3000円はするというので仕方なくバス停に戻って500円でドミトリーを取る。金銭感覚はすっかりおかしいが、それでも圧倒的に高いのだ。


ここへ来てまた新たな問題が発生していた。今までの街は日曜だからといって店が閉まっていることはなかったか、この町はホーリーのせいなのか閑散としていた。おかげで財布に金が50ルピーしかない。。


仕方なくコルビュジェの残したキャピタルコンプレックスを見に5kmくらい歩く。

遠目から見てもほとんど廃墟なその建物につくと、日曜だということで入れなかった。。仕方なくまた歩いて宿へ戻る。道路は交通量に対して過剰に広く、それと緑道の存在がセクター間をものすごく分断している。街区と街区の間にハイウェイが走っているみたいな感じだ。

1.2km×0.6kmの大きさの各セクターは高い塀と鉄条網によって完璧に閉じており、中にはいると規模はセクターによってそれぞれだが、基本的には郊外の住宅地という感じ。とにかく塀と鉄条網が好きで、公園にはいるのにすら入口を探すか、塀の壊れたところを見つけないといけないのだ。
世界中いろいろな街を見てきて、1番よかったのはどこかと問われれば迷うだろうが、1番ひどかったのはどこかと聞かれれば即答出来る。そんな近代都市計画のなれの果てがチャンディガールだった。