時間の速度と空間の抽象性

4日で10個近い美術館を回って思ったのは、美術館を計るパラメータには
空間と立地と作品の抽象度があるということ。
DIA BEACONなんかは大きくていいんだけど緑に囲まれた郊外に工場をリノベーションして建つ生々しさとそこに置かれる作品の抽象さが妙にミスマッチだと僕は感じる。
逆にイサム・ノグチなんかは空間の生々しさと作品がとてもよく合っていたし、カーンの英国ギャラリーにおかれる古い絵画と木で覆われた内装もとてもよかった。
MOMAやホイットニーで見るコンテンポラリーアートも、その完全に都市的な状況と併せてとてもしっくりくる。


それはつまりそこに流れる時間の速度と空間の抽象性の問題だと言っていいのかもしれない。
たとえばマンハッタンのどまんなかに建つ美術館に流れる時間と郊外の川のほとりに建つ美術館に流れる時間とは同じ時間でも速度が違う。
もちろん科学的には全く同じ速度で時間は流れているので、感覚的な意味での速度の違いになるのだけど
都市ほど時間は早く流れるように感じるものだし、そうすれば処理できる情報量も減るはずだから、そこに求められる空間の抽象度も高くなる。
逆に田舎にいけば時間はゆっくり流れるように感じるもので、多少情報が多くても頭に入ってきやすいし、空間はもっと具体的で生々しい表現になっていい。


たとえば誰しもが感じる真白な居住空間への違和感というのは
そこに流れる時間が居住空間としては速すぎるからなんだと言える。
肌理が多いほど時間はそれにひっかかってたまっていくのをイメージすると
いいかもしれない。