尾道―鞆の浦―福山

旅のお供だったしまなみ海道のガイドブックには尾道のことが書いていなかったので、ホテルの人に尾道の魅力ってなんですか?と問うとあまりぴしゃっとした答えがない。お寺がたくさんあるとか、NHKのドラマの舞台になったとか。


僕の中にあった漠然とした尾道すごい楽しそうという意識はこの反応で薄れてしまって、これはさっと見て帰路を急ぐかなどと思う。





ホテルが山の上だったので山の上に自転車を止めて少しだけ歩いてみることにした。自転車じゃとても昇り降りできなそうな街だ。
結局ちょっとのつもりが一番下まで降りきってしまって、再び山の上に上がるまで3時間近く歩いてしまった。



石垣に挟まれた石畳の細い階段路地を降りていくと、突然目の前に瓦屋根の重なりと瀬戸内海の濃い青とその奥の島の緑や造船所やらが重なって見えてくる瞬間がある。その瞬間にこの街の虜になってしまった。



路地には公私の別がないので、ふと油断すると人のうちの庭に入ってしまうようなことにもなるし、そういう構造を利用してかわいいお店がところどころに点在している。



林芙美子邸や志賀直哉邸など、高台から瀬戸内海を見下ろす日本家屋もあって、畳の間から縁側越しに瀬戸内海の風景を見るととても楽しい。




海を見下ろす南向き斜面だからかサッシというサッシは全てフルハイト。木枠なので当然中桟がはいるのだが、それがまたよい。



接道がどうなっているのかはすごい謎で、ところどころ空き地になっているところの開発の可否が気になる。こういう街の良さを住んでいる人が分からないというのは本当にこの国の構造的な問題で、僕はどうして山崎亮さんのような職業が成立するのか分かった。


下の街に下りてラーメン屋を探すとどこも長蛇の列。こういうところは分かりやすく人が集まっているのが対照的。しかし尾道ラーメン安い。。普通に500円くらいで食べられる。単に物価の違いではないと思った。ルネサンスが起きていないのだ。ラーメンが労働者のための安く早く食べられる食事だった頃から、B級でもグルメとしてもっと広い階層に受け入れられるようになる以前の状態を見た気がする。



昼食後鞆の浦まで移動。福山市鞆の浦はポニョの舞台としても有名な古い街並みが残る小さな街。保命酒の製造販売で栄えた昭和初期の太田家住宅は一見の価値あり。ものすごい畳の間が連なる豪邸で、この辺で商談が行われたとか、偉い人はここまで案内されたとか、家族はここを使ったなどという畳の連なりの中のゾーニング的な話と併せて楽しめる。
軒に向かって反り上がった蔵のつくりと、建物の足回りに小さく活けられた植物がとても特徴的な街。


福山駅まで走ってそこから新幹線で東京へ。帰りの新幹線の時間は決めにくく、抑えていなかったため、立っている時間の多い帰路。



しかし今回の旅は震災の影響で暗い東京から来たせいか、だいぶ違う世界に来た気がした。瀬戸内海の島を巡るのははじめてだったがとても面白かった。まず海が静か。湾ごとに防波堤はあるけど、街と海がすごく近い。今治で瓦をつくっているから屋根はとにかく瓦。みかん畑と瓦屋根が基本の風景。



どの島にも必ず造船ドックがあって、空にはでっかいクレーンがぐさぐさ刺さっている。地面には信じられないスケールの鉄骨がごろごろしている。
橋は島の緑よりも高くそびえ立ち、船は住宅よりも巨大に立ちはだかる。
島の点在する海を見ていると未だに海賊がいそうな雰囲気がある。小さな島のどこかにきっとアジトがある。



まとまった休みの度にこうして日本の田舎を自転車で巡っている。建築を見るのも旅の目的のひとつだが、千葉県生まれ東京育ちの僕にとって日本の心象風景を巡る旅なのだと気づいた。
自転車で走りながらいろいろな街の構図を見て回る。何がその街を支え、どういうルールが規範になっているか。その規範がどういう風景をつくっているか。そうして地方の良さを再発見していくことの先に、明るい未来を感じている。