浅草文化観光センター

crz_joe2012-04-11

浅草文化観光センターは全部の階が最上階!って体験が圧倒的だった
浅草文化観光センターオープンした様子。こないだ見て同時期に竣工した自分の担当作と比較して思ったことを書いてみる。個人的で観念的な感想として。


自然が美しいとか建物が素晴らしいとか、それ単体だけでは人は感動しなくて、例えば都会の喧騒が日常的にあって、それとコントラストが生まれた時初めて人は感動する。建物を丁寧に設計し、それに対して闇雲に残した既存樹木があってそこにコントラストが生まれると、両方が引き立つ良さになったりする


一つの真理として強いコントラストはいつも人を感動させる。しかしコントラストを狙ってつくるというのは結構難しくて、丁寧にデザインすればする程ハーモニーになってしまって、下手をすると予定調和的な嫌らしさにもなる。勿論ハーモニーも良さは作れるのだけど、がつんと心を揺さぶる質とは違う


建築は時間がかかる分、最初にあったコントラストをそのまま対比として残しておくのは難しい。実施設計から現場に入り、逐一迫られる選択に対して丁寧になりすぎるほど、それはハーモニーになりやすい。


簡単に言うとものを決定する時の選択肢としては、今既に建物が持っている良さに対して、それをチアアップするか、くさびを打ち込むかしかない(あえてはぐらかすという選択肢を除けば)。前者の選択はハーモニーを生み、後者はコントラストを生む。


どちらの方針が正しいかは最初のコンセプトがどれだけ力強いかによって変わる。コンセプトが強ければハーモニーは予定調和を起こしやすいし、弱いとコントラストはコンセプトを曖昧にするだけ。浅草は最初から力強かったが、その後の決定についてちゃんとコントラストが追及されていて気持ちよかった。


コントラストをちゃんとつくるには的確に人を投入することだ。ということがよく分かった。一方で僕の担当していた帝京小は最初のコンセプトの強度がそこまでなかったのと、ほぼ色々一人で決めなきゃいけなかったタイトさが、結果としてハーモニーを起こし、ものすごくうまくいったと思う。


同じ屋根をテーマにしていながら、建築の追求方法は非常に対極的な建物である。この辺りは同じ建築雑誌に載るので、ぜひ比較していただきたいところ。どちらに共感するかで、自分の建築感が分かるのではないかと思う。


ここから先は超個人的な見解。個人的にはこういう建築の追及のベクトルが隈さんらしくないのではというのをいつも感じていた。隈さんはどちらかというとコントラストの人。


隈さんの帝京小を見た反応を見る限りはそこまで悩むこともなかった様子。しかし自分の設計をどういう強度から始めるといいか、というのは、今回でだいぶ分かった気がする。同時にがつんと人を感動させるにはもう少しコントラストをつくる必要性があるということも痛感した。
http://www.teikyo-u.ac.jp/elementary/exam03.html