[本]少年H/妹尾河童

少年H(上) (講談社文庫)
 

100円だからという理由で大して読みたくもない本を買い込んで貯めておいたものをふとしたきっかけに読んだりすることがままある。ここでのそのきっかけ というのが昨今の北朝鮮の問題で、全く得体の知れない価値観を目の当たりにした評論家たちがこぞってまあ戦時中日本と同じような状況ですよねなど言うのを 一応理解はするのであるがやはり豊かな日本しか知らない世代が小学校の頃にかろうじて聞かされたその手の話など全くもって風化してしまっていて、はてどん なだっけかなと思ったからである。
そしてこの中にはメディアが少ないと情報によって民衆を操作するのがいかに簡単であったかが描かれている。終戦の玉音を最後まで天皇からの直々の激励だと 信じた中学生の姿が描かれている。現在自体は180度転換し、仮に僕が仕方ないじゃん北朝鮮てそういう国なんだからなどと言おうものならこの非国民!とま で言われないまでも間違いなく他人事だと思って、と避難されるに違いない。そういう意味では価値観や距離感は変れど本質的に情報と社会の関係は変っていな い。
情報の伝達というものはどんなことにも伴う。全てはメディアである。人としゃべることに始まり、新聞の記事からTVCM、看板から建築をつくることに至る まで、あらゆるものことは情報を保持しその伝達をしているけど、その側面から見ると建築をつくるという行為は、なるべく情報を直接的に伝えないもしくは伝 え得ない手法であると思う。即効性がないという話は以前もしたけど、メディアとして建築を見たときこれだけ時間とお金のかかるメディアもないのであり、逆 にだからこそ伝えられることもあるとも思う。そして色々な意味に受け取れるような曖昧な情報を伝えたり、遠まわしに情報を伝えていくことに僕は興味がある のであり、そういう意味で僕は建築誌をめくりながら広告批評をめくったりできずにいる。わかりにくいかな。