XXがない

村上春樹の「トニー滝谷」という短編(「レキシントンの幽霊」に収録)の中に、非の打ち所がないんだけどど んどん新しい服を買わずにはいられないという女が出てきて、こういう人って見ていて妙に安心するのだという話を彼女にした。というのはこういう社会に生き ている以上、僕らは何かしらストレスを感じたりザラザラしたり、もっと決定的に何かを失ったりせずにはいられないけど、そういうことによって失われたバラ ンスをどうやって保っているかがはたから見ていて明快だからである。
321君よりは少しだけ短いがかれこれ5年の付き合いになる彼女はとても我慢強い人で、仕事が大好きってわけでもないのに毎晩終電近くまでかなりの仕事を 優秀にこなしてどんどん出世し、かと言って週末に決まりきったような憂さ晴らしをするということもない。モダンにもポストモダンにも属さずに終わりなき日 常を生きているという僕にしてみれば物凄く偉大な人である。僕がしょっちゅうくだらないことで悩んで彼女に愚痴をこぼしているのに対して、彼女が愚痴をこ ぼすのを全く聞いたことがないので感心しつつも時々この人の精神構造はどうなっているのだろうかと不安になってしまう。そこで僕はもし君に酒を飲むと見境 なく男の人と寝てしまうような性癖があったら安心するなどと言って怒られた。