ポストモダン

またしても玄関先に図書館に今にも返されようとしていた重松清を手にしたら、ついつい最後まで読んでしまっ た。なぜこうも自分が家族の問題に引き寄せられるのかは自分が痛いほどよく分かっており、私的な話になりすぎてしまうのでここでは触れない。そこでいつも 重松清はモダンだとかでも家族の問題なんてそんなもんだとか言う話を決まってするのです。
ところでそうやってモダンだポストモダンだと批評している人というのは既にポ完全にストモダンを生きている人ではない。あたりまえのことだけどそういう批評というのはモダンな人間の側にしか存在しない。という評価すらもポストモダンな領域にないのだが。
そんなことを痛感させられたのは僕がアテネのコンペのために文章を書いたときにKG氏がこういう一般論はつまらないと一蹴したときのことだ。その文章の主 題は二人の共通の意見として「建設用の足場がなくてつくれること」と「一般に人も交えて祭りのようにつくれること」だったのだが僕はそれを確か「祭りのよ うにつくられるべき建築の建設現場から一般の人を遠ざけるための足場をなくして」と大げさな一般論として書いた。そういうことを常に建築の一般論と結びつ けて書こうとする僕は結局のところオランダよりドイツを選ぶようなモダンな人間でそのときは気づかなかったがこれは純粋に建築論の問題だと思った。
例えば原広司が言ったような「建築に何が可能か」などの一般論を追求すること。30代の建築家の作品にそういう姿勢が欠如していると伊東豊雄は「イチロー 的建築家像」という文章を通して語ったけど、彼こそはポストモダンの社会を生きようとするモダンの世代で、真のポストモダンの世界とはそういうことを追求 する概念が鼻から存在しないかあるいはものすごく鼻についてしまう世界であるのだと思う。
ところで都立大には建築意匠というジャンルは実は存在しない。建築家ではあるが小林克弘は建築史の人間だし、小泉雅生やその前任の僕の師匠でもある藤木隆 男は建築計画の人間だ。それでなくとも上野淳や高見澤邦郎といった計画系の人間の強い学校であり、建築はそういうジャンルからの社会的貢献の元に絶対的な 存在であるという価値観が実は僕の根底にはある。勿論塚本さんの所に来たのは、そういう価値観が時代遅れでそうでない最先端の建築観を感じ取ろうとするの が目的であった。だから僕にとってのM1コンペとは東工大で教育を受けてきた4人との距離感を感じながらそれを近づけたり遠ざかって見つめなおしたりしな がら建築と僕の所在を模索するための時間である。という一般論に終わるオチ。