謹賀新年

あけましておめでとうございます。
JOHでございます。

書き初めるよー。

元旦から食べて寝るだけの寝正月は非常に充実した感じで、というのもうちは今時お節料理はしっかりつくる家庭で僕も年末には買い出しだとか数の子の皮むき だとかちょっとした手伝いはしたけれども、つまりは寝ていても食うもんが死ぬるほどあるという状況下で真昼からワインなどめでたく飲んでだらだらとしてい ると、これは一年にこの時期にしかできないことである感じがだらだらっぷりを許容してくれるので良いのだ。そもそもあほみたいに働くことが好きである(と 僕の周りにはいない誰かその他大勢によって決定されている)日本人は最近ではとうとう元旦から商売に精を出すようになっていて、そういう状況はお節料理な どを全くアフォードしないのだが、僕自身は年賀状とか年越しそばとかお節料理とか何だかルーティーンのように伝わっていく伝統的な存在を非常に大切にして いる。墓参りというのも霊感もなく宗教も死後も信じない僕が最近になって妙に同じように重要視することのひとつで、それは恐らくいろいろな所に属している ようでありながら実はこの社会のどこにも属していないようである自分の確実なバックグラウンドであるからなのかもしれない。
墓参りから帰ってきて、何年ぶりのことか分からないが兄貴と2人で野球をした。野球そのものは圧勝を免れないのでどうでもよいのだが、草むらはキャッ チャーになりスロープの手すりがスタンドになり自転車用の通路が内野と外野の境になりといったように、うちの前の荒川の土手の一箇所が妙に2人野球をア フォードして面白かった。そういう意味では子供の遊びというのは現状の遊び場を許容しながらちょっとした段差とか壁みたいな要素にうまくアフォードされて 起こるという点では極めて塚本的じゃないだろうか。
そういえば「そういう意味では」ってよく使うけどどういう意味だか良くわかってないことが多いな。文頭の接続語と語の修飾が異常に多いのは昔からの癖なものでどうか見逃していただきたく、今年もどうぞよろしくお願いいたします。