舞浜

年末年始というこの極めて非日常的な時間には日常を少しでも匂わせるような所にはとてもでかける気がしない もので、代官山〜原宿あたりも南大沢にいた頃までは遠い世界だったものがこの4月から日常を少しだけ匂わせる距離に変わってきてしまっていて、そうなると 車という足のない僕なんかが非日常を求めた結果足が向くのが埋立地の方面で、ああいうコンテクストのない所には虚構がいっぱい降り積もっていて何となく非 日常を感じることができるので好きである。話は変わるが僕の友人で卒業設計でそういう土地に何が作れるかを試行錯誤した挙句に畑をつくってしまったヤツが いて、まあでもそういう埋め立てまでして新しくつくられた土地がどういう必然性を規定するかと言ったら食べ物を作る場所とかっていうのは割と近いのかもし れないと再解釈したり、やはり土はそれをアフォードしないよなとか思ってみたりした。
ところで今日僕は舞浜に行ったのだ。
虚構というのは現実との接点によって虚構と認識されるものであるから絶対にエクステリアを持たない巨大なインテリアなわけだけど、イクスピアリからディズ ニーランドの周囲を囲う森を眺められたりディズニーリゾートラインでその虚構の領域を可視化してしまったことは虚構にエクステリアを与えてしまったことに 他ならなくて、僕はそれを目の当たりにして以来その中側に入るモチベーションをほとんど失ってしまった。しかし領域の外側から入ることのできない中側に思 いを寄せられるイクスピアリというあの場所は日常と非日常の間にいるような感じがあって今日はとてもよく晴れていて好きだった。
昔「みん建」かなんかにも話題があったけど建築家の皆さんというのは揃いも揃ってあの虚構空間のことが嫌いらしく、気持ちは分からなくもないが僕は嘘も徹 底してつけばみんなに許容されるという事実をサポートしているその徹底感が何となく割と好きで、それはこんなんハリボテじゃんと思うより先にハリボテでこ こまでつくるかと感心させられることによってあの空間が偽物でなく虚構として成立しているところと、嘘をつくなら徹底する必要があってそこにはやりすぎて かっこ悪いとかいう現代的な感覚からも切断されている感じ。
そんなことを考えているうちに非日常が人々の拠り所になっているとするならばあの虚構空間の中で働いてる人とかAV男優とかはどこに非日常を求めてバランスしているのだろうかと思ったが、そういう人たちってきっと完全に日常と非日常の間にはまれちゃってるんだろうなあ。
つーかなげえよ。




長いので今年はこれにて終いです。
それにしてもこの無責任で閉鎖的かつ自己顕示的な日記の形をした掲示板をご覧になってくださっている皆様。いつもお付き合いくださいまして感謝しております。来年も暇がありましたらお付き合いくださませ。よいお年 を。