建築と教育

いつの間にか押野見邦英さんと塚本さん奥山さんと坂本研のドクターの面々がテーブルを囲む飲みの席に相席していた。
押野見さんは建築家は孤独だと言って、それで僕は何故この人(11/29日記参照)が何故突然建築の社会的なあり方を問うような課題を出したのか分かった。
要するにデザインという行為が(建築の場合特に)社会全体における価値観の多様化とか経済の停滞とかそういったものを背景として枠組みをつくっているということを考えていないのだ。
塚本さんの方は共感の集積として建築を捉えていると言った。デザインとは説得する行為だ。
ところで建築の社会的なあり方について論じていた塚本奥山両氏が、篠原坂本スクール にいてそういうことについて全く教育 を受けなかったと言うのを聞いて、僕はなるほどなと思った。彼らが受けてきた建築教育とは「空間とは何か?」みたいなことだったと。
そりゃカルチャーショックもあるわな。