X50%、Y100%

連日の船橋にてアトワンオープンハウスの日曜。
僕はちょっと早めに出て初めて東葉高速鉄道に乗り生まれ故郷の北習志野で途中下車した。
この東葉高速鉄道は僕が小学生の頃からできるできると言われていたけど立ち退きがうまくいかないとかで結局僕が大学はいる頃になってようやくできたという代物だったから今日初めてこれに乗った僕は長年の地元民の苦労を思って人知れず感無量であった。
小学校に上がる前にこの北習志野からもうちょっとだけ都心寄りの東船橋に引っ越してしまった僕としてはこの街に電車で降り立つのは実に20年近くぶりのことであったが、僕の脳裏にかすかに残っていた街の風景の断片は全くその当時のまま保存されていて、これは小さい頃に過ごした場所を久しぶり訪れたことのある人にはよくある話だと思うがただそのスケール感だけがきれいに半分くらいになっていたるという奇妙な空間体験をした。


これは非常に不思議な体験だった。
僕の記憶というのは全てが断片的なシーンだったんだけど歩いているうちにシーンとシーンが地図上に繋ぎ合わされていく。
同時にその記憶が広角レンズで覗いていたものだったかのようにいちいちその現実とのギャップに驚くのである。
20年で風景が殆ど変わっていないというのも驚きなんだけど、
それ以上に僕の脳のどこにあったかの記憶が突然「あ!ここ左だ!」と閃いてまた次の瞬間「わ!道細い!」と驚くのだ。


これは小さい頃の僕がいかに主体性を以って平面的な世界を認識していたかということの証明になっていて、
例えば建物の高さというのは何階建てとかっていうように記号的に認識していたからなのか殆ど違和感がないが、
駅から家とか学校のグラウンドの大きさとかっていうのは距離的な認識が逐一違っていてそれが全部小さくなっているから面白い。
人間の長さと高さに対する知覚というのがいかに異なっているかが分かる。重力のせいだけど。


保坂和志的だな。


それにしても幼稚園当時の僕が歩き回れる範囲に公園が6個も7個もあって、その度にあーここで遊んだとかここで祭りしたとか思い出されるんだけど、今じゃ殆ど子供のいない高齢化した街になってしまっているようで少し寂しい。
それにしてもあまりに変わりのない風景に僕は思わず昔の自分がいるのではないかと公園を探してしまった。