欲望の総意としての社会

帰りの電車の中世の中に怖いものなんか何もねえと思ってるだろう2人組みの小僧がもの凄い大きな音で携帯電話のゲームをやっているんだけどそいつらがあからさまに喧嘩を売っている感じなので誰も注意しない密閉された空間で僕はなるべく多くの人が幸せになることが欲望の総意としての社会の原理であるとつくづく感じた。


KYGとかと近代建築の卒業設計集を見てて一東大生の宣言文(表題)にかなり心打たれた。
意味わかんなかったり理不尽だけどとにかく勢いがあるというのは
ときどきひどく有効なストラテジー


ガエ鉄骨屋根たわみ補修工事で追加徴集を宣言された先生の一言。
「だってまだたわんでんじゃん。たわんでんのに追加はないでしょ。第一お施主さんに説明できない。」


ツオイとおもいました。


理屈が通ってるんだか理不尽なんだか分かんないけどこれで押し切りやがった。