アトワン論を終えて

アトワンを語る水曜日。僕と321君はエンターテイナーとしてなかなかいい仕事をしたのじゃないかと思う。でも実際敬語になるとなかなかしゃべりにくくて本当は2人で「初期の頃は建ち方とかが内側の空間まで規定するようなことを言ってたじゃない。」「そうか!間仕切り壁が増えたというのは彼らの設計方法の変化をよくあらわしているわけだ。」「そうそう、つまり欲しいものを欲しいだけという論理は必然的に内側から空間を規定せざるをえないと。」とか言って盛り上がってた図書室での会話をそのまま出したかった。

やっぱり「観察と定着」はものをつくる方法論ではなかった。

最終的なまとめと同時に全てをごまかしたかもしれない「ジェネレイティブ」という言葉は以前もこの日記に登場していますが、僕はこれはオナニズムの文脈にあると思ってる。つまり結果を想定しない=成るように成るというのはセックスには決してならない。セックスになるには色々な仕込みとか下心とかつまり動機が必要で、求めてなかったけど気づいたらセックスになってたというのには意味がない。つまり彼らにとって環境も施主も習慣的な要素も全ておかずにしか過ぎない。ただ施主に関しては一見セックスが成立するように見えるところに僕らの共有する疑問があるのだけれど、施主の素材性という言葉にそのままあらわれているようにこれも引き出しのひとつにしか過ぎない。その裏にかなり戦略があるのではないかと思ってみたがかなり純粋なオナニストだった。そして建築界でオナニストとして成功するのは大変なことなのだ。