終電で帰ってると隣に座ったサラリーマンでかなり年のいった2人組みの1人が感慨深げに「先日自分の入る墓を買ったんですよ。」という話をはじめた。
1年後ならまだしも2年後の自分がどこで何をしてるか全く分からなくて、むしろそれを楽しんでしまっている僕なんかにとっては全く理解の遠い話であるから、これは面白そうだと耳を傾ける。
しかしどんな保守的な人なんだろうと思って聞いていると意外にもこれが現代的な夫婦像があって、結婚した時からずっと共働きで家賃も折半であれば墓代も完全に折半らしい。決して人生の終幕を身近に感じ取った結果とか、もう年だし何かあったらじゃ遅いからとかいう守りの気持ちから来てるわけでもないみたい。
確かに国民の意識調査を見ても将来のことより現在の幸せとか楽しさを大事にする人が圧倒的に増えているという統計があって僕もベタにその1人だったりするが、死ぬことというのは唯一選択の余地なしに人生の中で決まっていることだから、そういう風に捉えれば墓も積極的に人生をコントロールする一因になるんじゃないかとふと思ってみた。
とりあえず自分のすごく気に入ったところでここから遠いところに墓を建ててみる。そしてもしこの先の人生で何らかの選択を迫られた時、その場所にちょっとでも近づくようにその選択に応えてみる。例えば結婚を決めるとき、海外出張を頼まれたとき、

「いや。僕の墓はもっと西の方にあるから。」

とか言ってみる。

なんかちょっとだけ楽しくてもうちょっとだけ悲しい人生のデザイン。