ベルヒテスガーデン

大学が始まる前にと思って1泊2日の小旅行に南ドイツの大自然を味わうためにアルプスの麓のベルヒテスガーデンというところまで行ってきた。
2日目は1日目の晴天が嘘みたいに生憎の天気だったのだけど、切り立った山々の間にケーニヒス湖という細長い湖があって、本当に周囲が切り立っているので船で進んでいくと周囲には自然しかない。そういう水面を見ていると次第に湖という記号から脱して単に巨大な水たまりに思えてきて、更に見ていると僕はその水たまりのでき方に思いを寄せ始めるようになった。


なぜ「湖」としてその水面を捉えることができなくなったのだろうと考えているうちに、僕はその船から見る景色に「湖」を前提として存在しているものが何一つないことに気づいた。つまりどこでもいいけど芦ノ湖とか富士五湖とか僕らがよく目の当たりにするいわゆる湖というのは湖があるが故に湖畔にはたくさんのペンションとかレストランとか迂回するための道路とかがあってそういう状態を見ると前提的にここが「湖」だということを感じられるのであり、つまり他者との関係から自分が定義づけされていたのだろうとふと思い、他者が自分を定義していないその状況を見てちょっと雨が続いて偶然今できている巨大な水たまりのように認識したのだと思うけど、単に原生的な状況を見るとあたりまえのようにその発生過程に考えが及ぶようなありふれた話しかもしれない。


ちなみに発生過程つながりの話しで、そのベルヒテスガーデンからザルツブルクからベルヒテスガーデンのあたりには岩塩抗が多いのだが、それはアルプスが出来たときに海の水が一端湖になって更に地殻の変動で地中に埋没してできたらしく、ザルツブルクのザルツとはドイツ語で塩のことを指す。でこの場合岩塩抗だけど炭坑とかってラピュタを見てもインディジョーンズを見てもアトラクション的だと誰もが思うのをこの岩塩抗跡は期待以上に再現していてまずトロッコで 600メートルくらいすすみ、更にスベリ台を滑り降りて途中幾つか説明を聞きながら進むと地底湖があってそこを船で渡り、ゴンドラで上に上がりまたトロッコに乗って帰ってくるというシステムだったのだが、いくら一人旅慣れしている僕とはいえ、ひとりで炭坑服を着たり滑り台を滑るのは結構恥ずかしかったが、ローマの真実の口に一人で行って後ろのカナダ人に写真を撮ってもらったときほどではなかった