夏の終わりに

今日は夜の12時が2度訪れるサマータイムの終演日で、雪が積もっているのを横目にまだサマーだったのかよと思わずさまあず並みに突っ込みたい土曜日の夜で、僕はふとこのまま時計を1時間戻さずに生活を続けたらかなりゆとりのある生活が可能なのではないかと思ったけど、これ以上ゆとりをつくっても仕方ないほどこの国には人間らしい生活が溢れているから無駄だった。忙しさを自慢することほど虚しいことはないとここにいる思えて、いとも簡単に多くの日本からの反感を買うことが可能なのだ。
ところで今週からついに設計のスタジオが始まって僕はリチャード・ホールデンのスタジオを取るのことにしたのだが、これはなかなかエキサイティングな体験になるのではないかと思ってウキウキしている。目当てのトマス・ヘルツォークは課題が1年がかりな上にオルセー美術館みたいな駅舎のリノベーションみたいないまいち盛り上がりに欠けるテーマな上、助手の人間はひどく人種差別が激しいとかもっぱらの噂なので語学が不十分な今回は見送ることにしたのもホールデンを選択した理由の一つだけれど、プロダクト感覚で建築を考えている姿勢というのはかなり日本のそれと異なって面白いだろうということもまたある。下手するとメタボにも近い感じなのだが反面もっとかなり軽快で、山本理顕にも近いけどあれ程大げさでなくてプロダクト感覚でできる範囲をきちんとわきまえている感じだ。
簡単に言うとテクノロジーをひたすらこねくり回して遊んでいるうちに少し建築の匂いがするプロダクトがやっとできているみたいな感覚でアウトプットがある。最近は解体可能性とかにかなり惹かれている僕なのですごく面白くなりそうだ。
で、2ヶ月近くふらふらしていた中で感じたドイツの建築を取り巻く状況を一言で説明するなら、「機能性はデザインを収束させテクノロジーは再びそれを拡散させる」ということなのではないかと思っている。
検証あるのみ。