読点のない日常-フラットスリー

最近僕がしている一連の日常生活の中で最もボアなのが奨学金のためのオフィスワークで、
そういえば昨日メールでガエハウス白書座談会の出席を出版社の方に依頼されて、
ところが今週のホールデンのスタジオの成果と言えば本当にひどくて、
今僕は分厚いTUのOBリストのファイルとコンピュータのデータを見比べて両者の違いをチェックするという本当はしなくてもいいんじゃないかと疑いたくなるようなどうしようもない作業をしているのだけれど、
こんな若造に座談会だなんて有り難いお話でしかも僕の帰国の予定に合わせて頂けるというVIP待遇にもかかわらず、
1週間の苦労に彼は耳を傾けることもなく突然と全く根拠のないつまらないスケッチを描き始め、
ディスプレイで次のターゲットまでの距離をだいたい何人分と狙いを定めてファイルをめくるときにどれだけターゲットに近づけるかが唯一のそのジョブのジョイで、
僕は夏まで帰る予定はありません申し訳ありませんあの住宅を細部まで知り尽くしている者として不参加は非常に残念ですとメールを返したのだけれど、
僕は的確でも魅力的でもないそのスケッチに唖然として言葉を失って、
それは時にオーバーしたりものすごくニアピンだったりしばらく熱中しているうちに何だかゴルフの様相を呈してきたと思いながら、
アトワン抜きで行われるというその座談会にもし僕が出たら何をしゃべるのだろうと考えてみたが、
パートナーは意外と平然としていてこれが独逸じゃあたりまえなのよみたいなことを言うから、
たまに手を休めてヤフードイチュランドにいっぱいあるコアなPVを(URL)見たりしながらしまいには全然仕事をしなくなって、
きっとアトワンの悪口は言えないだろうなでもS木たちの文句は言うかもしれないななどと思いながら、
僕はこういう状況にストレスを感じないような状況にだけは絶対陥ってはいけないのだと思い、
今年ももうすぐ終わりだな今年はガエハウスの年だったなと振り返り始めるだらしのなさで、
やっぱりなんだかんだいって僕の設計に対するスタンスにアトワンの影響は否めないもんなと異国の地での設計課題を通じて痛感したのだけど、
そんなことを考えるのはあのスタジオでは僕くらいかもしれなくて独りだなとぽつんと思った。