大谷資料館

材料を切り出すという行為が空間をつくりだしていることに、彼らがいつ気づいたのか知らないけれど、ただ引き算の結果として人工の空間がものすごく非人工的なスケールでつくりだされているという希有な事例。人工と自然がシームレスになっている。
栃木に行ったら隈研吾のつまらない建物を見るより先に押さえておくべき建造物(もしくは除造物)。



僕はここから更に石を切り出してその石で積まれたボリュームが自己完結的に外側に表出することを想像してみた。あたりまえみたいに表裏の関係のボイドとボリュームが、その表裏関係を持たずに存在する巨大なボイドを更に拡大させつつ浸食していくだろう。
そしてそれは僕が今感じうる自分のアイデンティティにとてもよく似ていると思った。