交換可能性を参照点とした固有性の認識について

僕の興味とはそういうことなのだと思ったのはライブの開始が15分遅れている間に気づいたことで、その時目に入った僕の前にいた女の子でたぶん誰が見ても文句なしにかわいいのだけどあごにものすごく大きなほくろのある女の子を僕は瞬間的にすごくいいと思って、それと同時にそのとき普段は完全に気の強い女の子なんだけどお酒を飲むとてんでメロメロになってしまう「猟奇的な彼女」のヒロインを思い出したときで、僕はその瞬間に僕の中にある世界の認識の仕方というものに完全に気づいた気がした。
つまり、誰とでも共有できる(交換可能性)かわいさとか気の強さが前提としてあって、それを参照してそれが失われない程度に手の加えられた状態の個性(固有性)について僕は激しく共感を覚えるということで、それは僕がRockが好きでRockは建築と非常に似ているのだと思っていることにも同じことが言えるのだとまさにその時に気づいた。つまりそれは両方共にかなりカチっとした交換可能な枠組みをその本質に持っていて、その中で時代性や社会性を反映させながらその現れ方を変えていっているその立ち現れ方こそに僕の興味はあって、その交換可能な参照点から固有性を生み出すまでの乖離量の追求こそが、まさに今僕が修論で書こうとしているいることだ。
そして何かにつけ参照点まで立ち戻れる程度の乖離量に収まっている固有性でないと僕は満足できなくて、そういうものは一見地味だけれどもよく見ると交換可能なその枠組みが本質的にどういうものであるかを現しているのだというのが僕の中のひとつ結論でもある。