新しい時代へのテーゼ

塚桃桑と打ち合わせをしていると出来る範囲の中でしかやろうとしないところに僕らは疑問を感じる。それは建築の中で常に語られてきた交換可能性と固有性の問題で語れば、その交換可能性への徹底した諦めと固有性への真摯な追求である。その中で建築は出来る範囲でやったこととしてしか語られない。
勿論固有性を語らねばならない。でも固有性の中に交換可能性を見い出す必要があると僕らは思うのだ。そして得られた交換可能性の定義する範囲の中で、またその条件ならではの固有性が追求されていくような建築を新しい時代は求めていくべきではないか。そして言葉にはできていないけどそういうことが実際にできている新しい世代がいることにはいると僕は思っていて、この意味で三分一博志や五十嵐淳は僕にとっては決定的に新しい世代で、今切り離したい。