脱埋め込み

アンソニー・ギデンスを読んでいて気になったキーワードで、飛行機やインターネットをはじめとしたメディアの発展によってローカルとグローバルが等価に入り乱れたり、時間と空間が分離した現代社会において、社会活動が目の前の特定の脈絡から非連続になる状態。
Mixiを始めたときに僕は研究室で三脚を取り出そうとして蜂に刺されたことを思い出した。僕はそれをつまりある事象とある事象の非連続性の実体験として感じたのだが、その二つの事象の間にどういう経緯があったかはどうでもよくて、その時僕には2つ以上の事象があったときにその間に脈絡があるということの方がむしろ気持ち悪かったのだ、とすら思えた。
ところで先日同じような体験がMixi上で起こって、もしかしてヒロキくん?と、僕のことを下の名前のクン付けで呼ぶ自分史上極めて稀な女の子から突然メールをもらった(ちなみに記憶では僕をそういうふうに呼んだ女の子は過去には2人だけで、ひとりは大学を出てすぐに家の火事で亡くなってしまったから、今生きているのは彼女ひとりだけだ)。
彼女が僕を発見するために媒介となった共通の友達はひとりしかいなかったのだが、そいつは今フランスにいて僕自身長いこと会ってない小中高の同級生で、つまりものすごく弱い脈だ。
とにかくそのようにいろいろなことが弱い脈で非連続に繋がっていってるようなものが、ふとした瞬間に再認識されて強化されるという社会構造認識というのは非常に現代的で、まさに脱埋め込み的である。
ちなみにその女の子とは4年前に僕がバックパッカーだった頃にパリで会って、一緒に夜のエッフェル塔に昇っており、それだけが故にとてもステキな関係だ。