秋葉原

秋葉原という町は小学校から高校に上がる頃までの10年近く僕の通学路の途中にあって、
僕も人並みにゲームとかした人間だったから、
よく途中下車をして軒を連ねたゲームソフト店を回っては値段を比べたりしていて、
そんなことが可能なのは日本でもこの場所くらいのものだっただろう。
久々に歩いてみると店構えは殆どそのままなのに、
扱っているものが全然変わってギャルゲーやフィギュアばかりになっていて、
そんなコアな趣味のためにひとつの町がよくもこうして成立するものだと改めて感心する。
駅の割と近くには高層のマンションがどかんと建設中で、
僕はついにこの場所に居住が結びつくのかと思って、
きっと部屋からコスプレの格好で出かけてホコテンの道路を利用してそのまま祭状態になる様子とかを、
ひとりでウキウキと想像してみた。
そういううちにいずれみんな子供を持ってそうしたらまた学校が必要になるかも知れなくて、
そうしたらかつて学校として在った建築の構造体は、
学校だけじゃない集合住宅やオフィスといったいくつかの混ざり合うプログラムによって浸食されて
必要に応じてその混合比率を変えていく状況なんかに置かれていくだろうとか漠然と考えて、
そういったときにそのプログラムの差は区切られた部屋には出ないで、
やっぱりそこにたどりつくまでのアプローチに出るんじゃないかと
ジャンプルーヴェ展の暗い廊下を思い出しながら考えた。
だから学校ならやっぱりエントランスには下駄箱があって一段高くなって暗い廊下があればいいし、
オフィスなら回転ドアがあって吹き抜けたロビーがあって何台か並んだエレベーターに乗れればいいし、
集合住宅ならポストが詰め込まれた部屋とオートロックのドアの先に小さなエレベーターがあればよくて、
空間のプログラムとは箱によって決まるというよりは、
空間の経験によってつくられていくものだと解釈した方が可能性はぐっと広がる、
というようなことを書きながら思った。