建築・夢の軌跡/多木浩二

建築・夢の軌跡
だいぶ前に読んだこの本の中に「形式性はその追求によってのみ破綻する」というようなフレーズがあって、最近至る所で共感するように思っていたのを、ライブドアの一件で再認識する。株式会社という形式を生み出した本質の部分から形式だけを追い求めて形骸化してしまった感じ。


最近仕事をしていてよく耳にする「仕様」も似たような意味で僕は嫌いだ。デザインの本質から表層だけを切り取って「仕様」として保存し押しつけようとする。
それは勿論効率のいい作業だ。
しかし探求の機会を「仕様」によって奪われてしまうことこそがデザインにとって最大の危機だということに気づかなければならないとときどき僕は我に返る。
建築設計事務所の所員にとって例えば細部の納まりというのは言語でいうところの「アルファベット」みたいなものだと僕は思っている。その「アルファベット」を駆使して僕らは文章を組み立てるが、英語とフランス語とドイツ語のように、事務所のボスのもつボキャブラリーによって「文法」は異なる。そしてそうした「文法」を駆使して僕らは新しい「文章」を組み立てて思考するのだ。ところが「アルファベット」は知らなくても「文法」をちゃんと把握していれば「文章」は語れるのだ。
論語りたければ、の話だけれど。