これが現象学だ/谷徹

これが現象学だ (講談社現代新書)
知覚をテーマとした修士論文を書いたときに脳科学の本にどっぷりとつかって
そのときに現象学など全く分かっていないくせに
こういう掘り下げていく関心のあり方はつまり現象学的なのではないかと思って
借りてみたけどフッサールの入門書としてはなかなかわかりやすかった。
そもそも現象学的とまではいかなくても、仕事をしていてちゃんと
意味を掘り下げられる人でありたいと最近は周りと自分を比較して強く思う。
以下抜粋。

芸術的創造はそれまで主題的になっていなかったものを主題的にしていくこと、あるいは、主題的に見えなかったものを主題的に見えるものに変換していくことを、主要な契機とするのではなかろうか。


たとえば、鉛筆という道具は机やノートなどと意味のネットワークを形成している。それらは、互いに調和的に指し示しあっている。このネットワークのなかにあるかぎり、つまり、適材適所に置かれているかぎり、道具は目立たない。(領域存在論)


少し古い映画で、アフリカのある部族の人が、偶然にコカコーラの瓶を見つけ、それを神様からの贈り物だと理解するという場面があった。つまり、西洋型の社会という背景的地平のなかで清涼飲料の瓶として理解されるものが、アフリカの少数民族の集落という背景的地平のなかでは、神様からの贈り物として理解されるのである。その当のものの意味はその当のものだけで決まるわけではなく、意味地平との関連のなかでこそ決まる。


高次の構成が起きてはじめてなにかが主題的になり、なにかが「外」に出てきて「見る」ことが出来るようになる。しかし、その構成は主題的なものの背後に予持の期待が裏切られることもおこる