「脳」整理法/茂木健一郎

「脳」整理法 (ちくま新書)
一見howto本のようなタイトルな現象学認知科学の延長上にある哲学書
世の中は神の視点をもった科学的な真実(例えば80歳まで生きている統計的確率50%)と、
それとは別に自分の周りに起こる一回性を伴った「偶有性」(100%生きているか死んでいるのかのどちらか)
とでできているという話を前提にして世界を切り出していく。
最近のうちの事務所の度重なる問題つづきを見ながら、ここで面白いと思ったのは、
つまり設計とは「科学的な真実」であり、それを実際に施工することとか、
それを見せたときのお施主さんの反応とかは、「偶有性」に満ちあふれているということだ。
しかし面白いのはどんな神の視点をもった大文字の「科学的な真実」も
実はものすごく私秘的な「偶有性」から生まれているというあたりまえのことで、
つまりたとえば建築の現場で設計の想定していた納まりに問題があるとか、
材料がないとか、あるいはやっぱりここは東側に開きたいとかいろいろな問題が発生したときに、
その設計のから偶有性に立ち戻れる姿勢というのは、ものすごい強みなわけだ。
つまり設計上その素材は**の**という製品かもしれないけれど、
そこからそれに決まった理由にまでしっかり立ち戻れれば、問題が発生したときにも対応が可能になる。
もしくは立ち戻ったときに実は同じ理由なら別のよりよい方法が見つかるかも知れない。
こういう当初の目的を達成するために進んでいく内に
偶然に派生する寄り道的な出会いを「セレンディピティ」というそうだが、
むしろこういう「セレンディピティ」こそ僕は大事にしたいのだと思って、
そしてそれはまさに今日で28になった僕がこれまで生きてきた道そのものだったのかもしれない。
思い返せば大学受験の時にうちの経済状況が最悪で予備校にいけないこともあって
たまたま推薦枠があったTR大に進み、
研究室を決めるときに本命にすんなり決まらず、
その年でなくなるF研に入ったことで外の大学院受験を余儀なくされ、
入ってみたら仲の良い同期が留学すると言うので交換留学枠がたくさんあることを知ってドイツへ留学し、
ドイツでたまたま隣人になった日本人の女の子がT大のC研だったつながりで、今のところで働いている。
僕がやってきたのはそうした偶有性から
科学的な真実のようなものを見つけ出したかのように振る舞ってきただけだけれど、
そうしているうちに発生するいろいろな問題に対してはむしろそれを楽しんで対応できるようになってきた気がして、
28年も生きてみるもんだと思ってみたりする。