カスバの男/大竹伸朗

カスバの男 モロッコ旅日記 (集英社文庫)
大竹展の影響。自分も行ったことのあるモロッコを彼がどう見たのかを知りたくなって手にする。
日本や東京と全く比較したくならない異質さとバスの中でも常に流れていた奇妙なアラビアンポップスのことを懐かしく思い出す。あのとき僕はドイツからモロッコに行ったからその時間を現実として感じられた気がするけど、今東京からダイレクトにモロッコのことを思い返すと自分がそこにいた感覚がリアルさを伴って想像できない。何気なく放置されたゴミや商品の置き方を大竹さんは抜群だと捉えている。いろいろな文脈から切り離されてモノゴトを語れないという意味だ。大竹さんはものすごく感覚的だけれど、それをちゃんと言葉にしているところが好きだ。

よくギタリストが、曲を聴いて「こんな感じ」とその曲を弾いてみせるが、その「こんな感じ」の音をひとつひとつ元の曲と照らし合わせたらかなり異なる音なのだと思う。しかしその適当な「こんな感じ」の曲が見事に「こんな感じ」を醸しだし、ときには原曲より「感じ」が表現されていることさえあるのは、その奏者の内側でなにかしらニュアンスに対しての体感を通しているからではないか。この「適当さ」が僕の場合すごく重要で、緊張感が高まれば高まるほど、それに反比例して「適当な抜き間」のタイミングのような感覚が起こる。物のかたちや位置関係や色を決定する場合、そのほとんどが実際の色とは異なるのだが、実際以上に現実を定着するにはその「抜きの間」のような感覚と、実景のランダムな即興関係によるところが多いようだ。