インドが3 アーグラー→バラナシ



7時過ぎにタージ・マハルに入るとものすごい人の数。床まで大理石な大きな台座に靴を脱いで上がってみると、微妙な大理石の質感の違いやそれを際だたせる目地がつくる真っ白な空間に包まれる。あちこちに鈍く反射する朝の光と空気中のチリホコリがなんとも幻想的。床に座り込んでしまうとでっかい風呂につかってる気分になってきて、屋外で暮らすことの楽しみが感じられる。


午後、ファテプル・スィークリに向かうバスに乗る。バスの中では席が隣になったモンゴル人のナラちゃんと神について話す。ナラちゃんは神はいろいろな物質の中に、それこそ僕らの細胞をつくる分子のその中にいるのだと話し、僕は僕らの社会には宗教と密接な関係はないが、考えてみれば神を信じないからこそ、死後を信じないからこそ頑張れるのかもしれないなどと話した。許しや甘えがないから切り開けるものがあるのではないかとこの国を見ていて思ったのだ。
ファテプル・スィークリはムガル帝國時代の都市で石像なのだが、庇の持ち出し方はどこか日本や中国の木造建築を思わせ、木造でない分石の薄さが際だっていた。


帰りにバス停からホテルまでサイクルリクシャーに乗っていると、そのワーラーがいかにも身分が低そうな人で、それでも一生懸命に自転車をこいでいて、僕は異なるものを比較しない社会の強さを思った。それはきっと宗教的な問題から来る諦めとかもあるのだろうけど、みんな隣の芝のことを考えずに自分の庭を良くすることに純粋なのだ。