インドが5 バラナシ

ゆっくり起きて朝食を取りガート沿いにひたすら上流へ向かう。
途中で欧米人に道を聞くとリクシャーかボートで行けば?そんなに高くないんだからという。もっともだ。貧乏旅行でもないのにたかだか100円200円のためにどうしてこんなに歩いているのか自分でもよく分からない。ただお金があるんだからボートに乗っていけばいいというのは僕にしてみれば俯瞰的なものの見方だ。





これだけ近代化されていないと社会的にも都市的にも構造がはっきりしないから、上から見てもよく分からない。強い構造がないからといってそれは比較を問題にする脱構築的な姿などでは毛頭なくて、近代化されなさすぎて逆に差異が目立たない感じ。別の惑星っぽいという感覚はそういうところなんじゃないかと僕は思った。


歩いていると途中で呼び止められて力仕事を手伝ったり、そんな人たちの写真を撮ったり通学する学生の群れにまみれたりする。道中であう子どもや動物たちは本当にかわいくて、僕らが日頃デザインの場とか言う「かわいい」とは別で、純粋にかわいいとしか表現のしようがない強さがある。



浮き橋を渡ってラムーナガル城に入るとそこは前近代の象徴のような場所だった。建物にもそれなりに価値があるはずなのだがそれは完全に放置されて、無理矢理博物館化されている。中には自動車から武器から絵画まで脈絡なくいろいろなものがつめこまれ、展示ケースはひび割れており、照明が暗く何の説明もないからよく分からない。写真禁止の看板の下には唾吐き禁止と書かれている。


インド前近代性象徴館とでも名前を変えてあげたいと僕は思った。


結局帰りも5kmくらい歩いて、宿で一休みしガンガーに下りて沐浴をする。隣で体を洗っている人もいるし下手すると死体らしき布も流れているけど意外と恐るるに足りない。
ただ、とにかく広いし気持ちいいのだけど少なくともこれで何かが許されるという気にはならない。神がいるとしたら自分の中にしかいないんじゃないかとふと思った。偶像をつくって祈ることは逃げることにしか見えない。自分のことは自分で切り開くしかないから楽しいんじゃないかと汚い水の中で思った。