インド14 チャンディガール→デリー

バスターミナルの上のドミトリーで寝ているせいで朝が早い。二度寝しても7時には目が冴え、全財産7ルピーを持って外に出る。そこでチャイを飲んで残り2ルピー。銀行が開くのにあと3時間はあった。


仕方なくセクター18、19あたりを歩く。この町がおかしいのは近代化された構造を持っていて看板のアルファベットもどこの街よりも多いのに、まず英語で話しかけてくる人がいない。公園でベタベタと寄り添うカップルなんか、他の街ではまず見られない風景で、近代化したインドを初めて目の当たりにするというか、ここは昔からそうなのかもしれないけれど、それは街や風景が先に近代化されてしまったからなのかもしれないとふと思った。




きっとこの街ではテレビよりもインターネットよりもずっと先に建築が近代化を伝える視覚的メディアだったに違いない。でも建築はテレビなどと違って言語を伝えない。僕はだからこの近代化された町から英語が忘れ去られてしまったのじゃないかと勝手に思った。


しかし、公園でいちゃいちゃするカップルを真新しい光景として見ていると、その昔、ガラス越しにキスするシーンが衝撃的だったとか婚前交渉はあり得なかったという時代が日本にも確かにあったのだろうと僕は思った。


散歩を終えて帰ってきてもまだ9時で、僕はコルビュジェが直接関わっているという広場で時間をつぶす。なんてことはないただの公団住宅の広すぎる共用部って感じだ。
ふと角の店からスカが流れてきて、僕はお金もないのに思わず入ってしまいそうになった。この国にはスカが足りない。スカでなくてもジャズでもロックでもクラシックでも、良質な音楽とのふれあいが圧倒的に足りなかった。それと闘争心だ。あと2つ付け加えるなら平等性と肉だと、勝手にこの国に足りないモノを僕は思い描いていた。後は両替だと。


やっと銀行が開いて両替出来るかと聞くとパスポートのコピーが必要だからとってこいという。やれやれだ。
時間をかけてやっと現金を手にし、リクシャーでコルビュジェに向かう。説明してもどこのことだか分からないのが現地人。仕方なくパンフレットの写真を見せて、地図を見せてようやく走り出す。


2日越しにようやく着いたと思った矢先、受付でパルミッションはあるかと言われる。僕は咄嗟にパルミskriのことを思い出しながらないよと答え、受付はセクター17に行けと言う。たった今そこから来たんだよ。やれやれだ。


1度戻って割とすんなりとパルミッションを獲得し、3度目の戦いを挑む。2度サインをしてエントランスに立ち、そこから銃を下げたアーミーのコーディネートで中に入る。入ると受付があってまたそこでサインをし、さらに階を上がってまたサインをした。たいそうなお役所仕事だ。
ようやく開放され屋上へ上がり、写真を何枚か撮った後、中庭に開放された。
オーディトリアムも裁判所も、外国人は中に入れないので古びたオブジェでしかなく、とにかく馬鹿でかかった。


チャンディの共通した印象としてとにかく無駄に広いというのがある。ここからは僕の完全なる私見だが、そもそもコルビュジェは3次元的なスケール感にはそんなに優れていなかったんじゃないかと思う。
最初にパリで見たラロッシュジャンヌレ邸はやたら小さいと思ったし、サヴォアの時は1Fの天井高を異常に高いと思った記憶がある。勿論近代化がさほど進んでいない社会でのスケール感だから、今のシビアな感覚ともだいぶ違うのだろうが、スケール感を模索していたからこそモデュロールなんてものを開発したのじゃないかと思った。



チャンディはひとりの建築家の手による間違いなく世界最大のモノだ。しかし僕は最後に贈られたという例の手のモニュメントを見ながら思った。
コルビュジェは神の視点から超俯瞰的な都市をつくろうとした。しかしそれは結局のところ、一人の人間にできる話ではなかった。そのことにコルビュジェは気づいていたのではないか。このモニュメントは戒めなんじゃないか。そんなことをこの到底グリッディーな街に似つかわしくないオブジェを見ながら思った。建築家の仕事は整理することではないのだ。
僕は一端バス停に戻って荷物を手にし、再びリクシャーに乗ってチャンディの駅へ向かった。今日デリーへ戻り、そして明日東京へ帰る。