カイバ/湯浅政明

crz_joe2008-08-16


マインドゲームの湯浅政明が監督しWOWOWで放送されていたアニメ。
記憶と体が別々に売り買いされる世界を描いたSF。


人々は歳を取れば若い体を買ってそこに移り住むことで不老不死となり、
嫌な記憶は捨てて楽しい記憶を買い込んで暮らしている。
体のデザインも人間らしいものであることを超越して
流行の前衛的なデザインのものをお金持ちの人々はどんどん乗り換えていくし、
貧しい人たちは生身の体を高く売って安い体に乗り換えて生活している。


そういう世界の中で記憶を失った状態で目覚めた主人公はいろいろな体に乗り換えながら宇宙船で旅を続ける。
話の感覚的には銀河鉄道999に近い。


面白いのは人間を「身体」と「記憶」に二分しているところだ。
身体と脳(感受性も含む)に分ける考え方は手塚治虫の頃からあったけど
はっきりと「記憶」と割り切ってしまったのはこれが初めてじゃないか。


「記憶」がものすごく大事になってきているのだと思う。
考えてみると「記憶」を消去することができるようになれば、殺人事件なんて起こらなくなるに違いない。
殺人を犯すときに人々が本当に殺したいのはおそらくその人の記憶だからだ。


ちなみに僕がここに書いているのも書いているときは「記録」でも読み返すときには「記憶」となる。


お。。


これは結構すごい発見じゃないか。
つまり人は死んでもその記憶を半永久的に活かし続けるインフラを既に持っているのだ。
逆に言えばどんなにつまらない人生でも嘘も交えて面白おかしく日常を綴っていけば
その人の記憶の中には楽しい人生として残るのだ。
これはブログの身体における非常に有効な作用でもあるわけだけど


たとえば突然明日辺り僕が死んでも、
僕と全く面識がないのに
僕の日々の記憶をちゃんと覚えている人がいることになるワケだ。
そうするとそういう人が葬式に突然現れてもおかしくない。。


むしろあれか。
ネット上にそういう葬式に近い形が生まれてくるんじゃないか。
会ったことないけどちょくちょく見てました、お悔やみ申し上げます的なことを
言えるシステムが。
と同時にそろそろブロガーたちは自分が死んだ後のブログの処理について真剣に考える必要が出てくるんじゃないか。
つまり自分の記憶をそのまま生かすか殺すかという選択について。


自分の孫がこれをいつか読むかもしれないと思うと結構恥ずかしいけど
記憶を簡単に残せなかった時代から残せるようになる時代への移行期の人の考えとして
僕は非常に教科書的なんじゃないかw