ジコ責任の社会

最近ずっと考えていたこと
それは耐震偽装問題にしても食品偽装問題にしても事故米にしても
もう誰のせいかよく分からないのに
みんなで責任が誰にあるのかを探しては誹謗中傷する機会をうかがっている感じがある。
とにかくそれがもう非常に気持ちが悪いと僕はずっと思っていて
どうしたらこういうインタラクティブなメディアと
常に誰かを誹謗中傷したがる大衆との関係を改善できるのかというのを
自転車のペダルをぐるぐる回しながらずっと考えていて
ふと僕は、自分の責任であることをみんなが訴えるという画を思いついた。


これまで僕はそういうのはずっとメディアが悪いのだと思っていたけど
もしかしたら僕のせいかもしれないと今日ふと思ってみた。


どの問題にしても買ったほうも悪いというのは、少なからずあるわけでしょ。
限りなく0パーセントに近くても0ではないと思うわけ。
つまり


自分も悪い。


ともっとみんなが声を大にして言う
っていうのが馬鹿みたいでいいんじゃないかと。
冗談みたいだけどそれだけで世界が変わるんじゃないかと真剣に考えてみた。


たとえば北京オリンピックで野球が負けて
みんながみんな星野さんのせいにしようとして
あちこちの掲示板が祭り状態になる。


でもちょっと待て。
確かにそう思わなくもないけど、僕らにできることはイジメだけなのか。
だから思い切って
あれは自分のせいでもあるな、自分も悪かったと言ってみる。
この時点ではほとんどギャグだけど
次に考えることとしてじゃあ何が悪かったよ?何ができたよ?って
なるじゃないたぶん。


仮に1000万人がそんなこと言い始めたら
これはすごいエネルギーになりうるんじゃないか。
今のインタラクティブなメディアと大衆の関係を
ガラッと変えてものすごく生産的な歯車が回り始めるんじゃないかと
夢見心地で思ったのだ。
そうしないと何か事故があるたびにもっと厳しい法律をつくらなきゃいけなくなって
罰金を取られるから砂の上にに文字も書けない、がんじがらめの社会になっちゃうよ。
そういうのは僕は嫌だ。


「自分も悪い」


という馬鹿みたいな発言から。
とりあえずgoogleにでも掛け合ってみようかな。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080925/315364/