second nature@21_21design sight

crz_joe2008-10-18

吉岡徳仁ディレクション。オープン初日の美術館オープンと同時に駆け込む。
英語の”second nature”という言葉には元々「第二の天性、後天的な性癖」という意味があってたとえば、頭で意識しなくても体がキーボードをたたいているような能力をさすようだ。


と同時に日本語の第二の自然には技術や生産に関わる人工的なものを比喩的に呼ぶことがあるという。


この展覧会に出展されている吉岡徳仁の結晶の椅子はポリエステルのファイバーを椅子の形につくり水槽に入れておいて、後は自然現象でポリエステルに結晶が凝固していって作品になるというもの。


吉岡徳仁はこれを半分は人が作り半分は自然がつくる=second natureとしている。


吉岡さんがやかんで水槽に水を与えている写真が僕にはすごく印象的で
つくっているというか育ててるみたいで
人工的な操作と自然現象のまさに合いのこなところ、タイトルにふさわしい。


展覧会には同じようなコンセプトを持った作品が集められており
特に建築の畑の人に印象的なのは骨の構造をつかったインスタレーションをつくったロス・ラブグローブ。
自然をモチーフにしてデザインをスタートするという姿勢は
伊東豊雄さんが最近言っていることに非常近いベクトルでのセカンドネイチャー。


一方で僕が今担当しているいまだかつて誰も見たことのないような建築(かも最近は良く分からなくなっている)は、吉岡さんの手法に近いのではないかと見ていて思った。
簡単に説明すると棚田のような水盤の重なりの上に乗った
緑のうろこに覆われている龍のような形状の建物で
その表情は緑化の草が風にゆられたり、水盤の水がゆらゆらと光を反射することで
その建物らしさを成立させている。


デザインは単に緑化して水盤を配すればいいという以上の
緑化のパネルや水のレイアウトが活きてくるデザインとして
全体がそうなったような気がしていて
デザインとして決してキッチュな具象を求めたわけじゃないのだけど
結果として龍らしさというのは、細かいデザインを決める上でものすごく愛でられている。


相変わらずオルタナティブではあるけど、これは新境地かもしれないと思うと同時に
僕は学部3年生の頃からずっとこういう建築をつくってみたかった自分に気がついた。
ちなみにあの頃の僕は自他共に認める今のボスの大ファンだったりするww


言葉を定義することでいろいろなことがクリアになることがあるけど
この展覧会は言葉を定義するためのそれとして非常に有意義。


ファイバーが吊られた空間もかっこいい。照明がいまひとつだったけど。。