ゴーギャン展@国立近代美術館

34歳で画家としてのキャリアをスタートいうのにまず驚く。
はじめの方に並ぶ普通に印象派な絵画から見ていくと
明らかに少しずつ彼らしい世界の捉え方になっていくのが分かる。


僕は去年のフェルメール展以降
それまで印象派以降の絵画は写実主義でない表現の仕方の模索が描かれているのだという捉え方から
そうでなく写実主義だろうが印象派だろうが表現派だろうが、
その人にとって世界がどう見えているかが描かれているのだという捉え方に変わった気がする。


印象派というのは言い当て妙だと思うのだが
実際に僕らはほとんど世界を印象でしか捉えていない。
ちゃんと観察すれば印象でしか見えていなかったものがたくさん見えてくるのだろうけど(写実主義
実際には見えているものと見えていないものの差はすごくある。
だからより見えているものを見えている印象で書いたり(印象派
見えているものだけを強調して書く(ポスト印象派→表現派)
というのは総じてその人にとって世界がどう見えているかであって
僕にとって絵画を見るという行為が
その人にとって世界がどう見えているのかをを覗く行為にシフトしてきている。


ゴーギャンの画自体は奥行き(リテラルな意味で)が少ないので
僕はそこまで好きでないけど(多分建築の人間の多くはそうだと思うんだけど)
青や黄色の強い画を通じて彼がタヒチの世界をどう見ていたのかを画の前で妄想することで
そこに立ち表れる奥行き(フェノメラルな)を感じるのが最近の絵画の楽しみ方。