SOSの猿/伊坂幸太郎
- 作者: 伊坂幸太郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2009/11/26
- メディア: 単行本
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読み進めていくにつれその辺も含めた例の時系列トリックですっきりしてくる。
作り話の効力についての自問自答。
けっこう好きです。なんで作家は作り話をするのか。
僕らには作り話ができないから。
コンステレーションという言葉を聞いたことがありますか。
もともとは正座の意味らしいのですが日本語だと「布置」とも言います。ばらばらに存在している星が、遠くから眺めると獅子や白鳥に見えますよね。それと同じように、偶然と思われる事柄も、離れて大きな視点から眺めると、何か大きな意味がある。そういった、巡り合わせのことを指すんです。「意味のある偶然」と呼んでもいいかもしれません。
伊坂幸太郎の小説の技術とはコンステレーションである。と言っていいかも。
人の中には、個人的な無意識とは別に、普遍的な無意識というものがあります。
たとえば、ずっと昔に作られた神話や壁画に描かれたドラマに、現代のわたしたちは共感を覚えることができます。文化や生活がまったく異なる時代に生きているわたしたちが、です。たぶんそれは、何らかの普遍的なイメージが存在していて、それを共用できているからだと、ユングはそう言うんです。
物を作る人はみんなそれがいったい何なのかを知るために作ってるって気がします。
夢は、無意識が創り出したものだ。その無意識の物語を、目の覚めた状態で完璧に説明することは完璧にできない。なぜなら、無意識を捕まえようとする時点で、意識は、「無」ではなくなっているからだ、と。
バイアスの問題と思う。
夢は結局脳内の記憶のシャッフリングであって
起きて思い出すときに僕らが加えるバイアスが潜在的欲望とか言われちゃったりするんじゃないか。
いろいろな人と仕事をすると「解釈に対する勾配」の個人差ってかなり大きいと思う。
僕の周辺ではそれが仕事の質をすべてコントロールしてるといってもいいかもしれない。
どうしたいかがある人とない人では180度解釈も異なってくる。
そういう意味じゃあなんで僕がこれを書いているのかって言うと
社会が多様化してみんなの中に漠然とあったひとつの社会が失われたことと、
社会がよりインタラクティブなコミュニケーションによってつくられるようになったことを時代背景とした
個々人の解釈によって成立する社会の集合の中で
社会をどういうバイアスで解釈すると
どういう創作ができるのかを悶々と探しているのだと思う。
バイアスのかけ方の研究というか。
それでいてどこかにそういうみんなが共有できる社会が
発掘できるのじゃないかと手探り。
年末にはいいまとめじゃないか。