三低主義/三浦展+隈研吾
- 作者: 隈研吾,三浦展
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2010/01/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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都市や建築のあり方を考える対談。
とても面白いのだが、当人もあとがきで書いている通り
建築家が踏み入れてはいけない対談でもあるw
とても夢多き学生には薦められないw
新しくハコモノをつくる時代ではなく
今あるストックをどう活かしていくかという非常に正しい議論。
川なんかでもコンクリート護岸を元に戻すなんていうのをずいぶんやってるじゃない?くうこうもとかインフラに関してもそういうリヴァース・ディベロップメントみたいなのってないのかね。大きい空港を小さくしょぼく作り直すってのはないのかな。(隈)
計画するということ自体が近代的とも言えますからね。目標達成方の価値観です。それに対してコンサマトリーな行動というものがある。つまり、楽しいから生きる、楽しいから働く、その人といると楽しいから一緒にいるという価値観です。
コンサマトリーな生き方の本質的な問題は、それがインストゥルメンタルではないがゆえに、どうやればコンサマトリーな生き方ができるのかという一般的なノウハウ、ハウツーがないということです。ハウツーが示せたら、コンサマトリーじゃなくなっちゃう。(三浦)
これはまさに塚本さんの話が論文的なものからエッセイ的なものになってきたことの本質を捉えているんじゃないかという気がする。
緑が豊かで、かつ無造作な感じかどうかで、計画した街のわざとらしさはかなり消えると思いますね。(三浦)
かつて若者が旅や移動に憧れたのは、強固で安定した束縛的な社会があったからです。ところが今は、社会も会社もそんなに強固で安定的ではなくなったんです。むしろ不安定、流動的です。社会のほうが旅行的である。だから若者としては、そこから逃れるために旅をする意味がなくなっている。(三浦)
僕は、現代において旅と建築はある意味で補完しあうという仮説をもっている。(隈)
上海の若い建築家で、古い家具や部材を買い集めて倉庫に入れといて、自分がデザインするものにそれをバンバン入れていくっていう面白いやり方をしている人が何人かいる。
コンクリートの中に老人が住んでいるというのはなかなか耐え難いものがある。人間と一緒に年を取るという感じがある建築こそ、建築の理想なんだけど、今のディベロッパーも行政も、歳とらない建築、風化しない建築ばっかり考えてるから、街が本当に気味悪くなった。
すでに世帯数4999万に対して5759万戸くらいの家があって、800万戸近く余ってますから。しかも現在119万人の年間死亡者は、2020年には149万人、2030年には165万人に増える。(三浦)
敷地に容積率を頼りに。容積率めいっぱいの高い建築を建て、高く売り抜けるというのが、建築三高主義を生んだとも言える。容積率も敷地主義もチャラにしたら、全然違う都市が出現するし、全然違う種類の建築家が出現するはずなんです。(隈)
ヨーロッパは最近夏が猛暑なので、一人暮らしの老人が暑さで死亡することがある。それに対応してボランティア団体が始めた事業ですが、お金はそこそこあるひとり暮らしの老人と、ひとり暮らしするお金がない若者を同居させようというんです。ニュースで紹介していた事例だと、70代の女性が部屋代も光熱費も負担し、料理をする。同居する20代の女性はその代わり平日の夜はできるだけ部屋にいるようにするだけでいい。